いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

いびきに困る!(主夫篇)<人の痛みを知るのは経験よりも想像力かもしれない>

「誰のいびきだろう」

 

困ったことがあった。

 

昨年引っ越してきてから、夜中にいびきのような音が聞こえるような気がしていた。当初は、普段、いびきをかかない妻が疲れていびきでもかいているのかと思ったり、一緒に寝ている長女がいびきをかいていることもあったから、長女のいびきだと思っていた。

 

妻は妻で僕のいびきかと思っていたらしい。

 

僕らのいびきじゃなかった。

 

そのいびきは、上から聞こえてくる。

 

上の人とはあまりうまく行っていない。ちょっと変わった方のようで、上の階からバケツか何かで下の植え込みあたりにいる猫に水をかけていたりする方だ。

 

僕が住むUR団地はペットが禁止されている。とはいえ、向かいの棟のベランダに猫が二匹いるのも見たし、僕の部屋の出窓から隣の出窓に佇む猫が見えることもある。

 

猫を飼っている人が何人かいる。

 

それはルール違反だし、よくないことなんだろう。猫好きは猫信仰みたいなものがあるからか、信教の自由が侵害されるような気持ちがするからか、猫嫌いな人を冷たい人だと思ってるような気がする。猫の毛アレルギーがある人は、猫の毛がついた人の隣にいるだけで体調を崩してしまったりもする。僕の友人がそうだった。猫を飼っている友人の隣に数時間いただけで体調不良になってしまって、せっかく大阪から東京に来てくれていたのに帰ってしまったことがある。

 

僕は猫のことが好きでも嫌いでもない。積極的に触るつもりもないし、寄ってこられていやなわけでもない。出窓越しに見る猫をかわいいとも思う。昔から、猫が寄ってきてしまうことも多かったから、猫にすりすりされても、椅子に座っているときに足の上に乗ってこられても、仕方ないというか、猫ってこんな感じとしか思っていない。

 

それは僕が猫信仰を持っていないからだし、猫アレルギーじゃないからだろう。

 

上の人の猫嫌いは、異常にも思えるけれども猫アレルギーとかの理由かもしれない。猫がいるとアレルギーで息が苦しくなったり、体調が悪くなったりしてしまうのかもしれない。そして、猫を見かけると水をかけるようになってしまったのかもしれない。その人にはその人の理由もあるだろう。

 

ただ、たいへん申し訳ないのだけれども、地上にいる猫に4階のベランダから水をかける人とは仲良くなれる気がしない。やべえやつだなあとしか思えないのは階下に住む身となると仕方ない。

 

これが普段から挨拶する人で、猫アレルギーとかそういう事情がわかっていれば、水かけ運動は過剰ではあるけど、それも仕方がないとか思えるのかもしれない。だけど挨拶をしても知らん顔の人だ。猫の方が目が合うとコミュニケーションが取れているような気がする。

 

挨拶しても知らん顔だったり、夜の0時でもドタドタと激しい音を立てている人で、夜の10時くらいにはビー玉のような硬いボールか何かを落として転がすような音がしていた。最近は転がしていないようだけれども。そんな人だから、僕にとってはただのやべえ奴になってしまう。

 

いびきに話をもどそう。

 

そう、いびきは、上の階の人のいびきだと思う。大きないびきを聞いたことがない人には想像がつかないかもしれないけれど、大きないびきはとても響く。

 

若い頃にお金がなくて、旅先でカプセルホテルなどを利用することがあった。カプセルの中で寝ていると、一定の間隔で低音が響き渡っていた。最初は何かわからなかったけれども、聞いているといびきであることが分かってきた。あれと同じだった。

 

上の人は、猫などには過敏かもしれないが、音には鈍感なタイプなのだろう。僕は音にはちょっと敏感な方なので上の人の音が気になってしまうことも多い。

 

人の痛みが分かる人は自分も傷ついた経験がある、とかいう話を聞くことがある。そういうこともあるかもしれないけれども、人の痛みが分かる人ってたぶん経験しなくても分かる想像力のある人なんじゃないかと思う。上の人のことを考えていると、自分の痛みが中心になりすぎてしまって、人のことなんてどうでもよくなってしまう、という感じがする。

 

僕もそういうふうになることがあるから、いびきを聞くたびに、気をつけようと自戒している。