いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

市議に困る!(自閉症児篇)<市議は近くて遠い存在なのかもしれない>

「困ったことがあれば相談してくださいと言っていたから相談してみた」(長女310ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

議員という人たちがいる。ポスターなどで名前を見たり、選挙のときなどに調べてみたりするくらいで、実際、その人たちと話すことなどもあまりない。政治活動に参加したこともないし、後援会にも所属したことがない。子供が生まれるまで人に相談しなきゃならないような困ったこともなかったというのもあるけど、議員との接点なんてあんまりない。

 

20年近く前に、なんだか雑多な仕事をしていたときに、とある人に目をかけられた。当時は若かったというのもあるから、なんでもやっていたし、行動力だけはあった。その行動力が気に入られたようで政治活動に誘われた。やりたいこともあったので丁重にお断りした。その後援会が推している議員が国会などで活躍していたり、そのあと消えて行ったりして、栄枯盛衰というものがあるのだなあと、なぜか身近に感じていた。

 

他にももう一人だけ、議員本人ではないけれども、その議員の事務所から数年ほど毎年電話があった。知り合いに誘われて行ったイベントで僕がまた余計なことを言ったのが気にかかったのか、電話があった。興味がなかったので「また今度」みたいにしていた。その議員はまだ議員みたいだ。

 

僕の議員のイメージというとこの二人。二人とも国会議員だ。衆院参院。雲上人みたいな存在なのか本人と話したことはなかった。簾があったわけでもないけれども。

 

区議や市議などは国会議員よりは身近な気がする。そういえば、東京にいた時には、飲み屋で区議に会ったこともある。知り合いも二人くらい区議とか市議だった。忘れていた。

 

長女の保育環境をよくしたいという思いから、保育園の担任、主任、園長に相談し、どうにもならないから、社会福祉協議会、市役所へと相談した。でも、何もしてもらえなかった。次はどうしようかと思って、地元の市議に相談することにした。ホームページには、困ったことがあれば相談してください、とあった。まさに僕を待っているかのような人だ。

 

最初に電話をすると、市議は留守ということだった。どんなことで困っているかを聞かれたので、簡単に説明すると、電話口の女性は同情してくれて、市議から連絡させると言ってくれた。

 

市議と電話で話した。なんか、小声だった。出先なのか分からないけれども、こっそりと話をするみたいだった。それでも1時間近く、相談の電話に付き合ってくれた。

 

「市役所の担当部署の課長に言って、どんな状況になっているのか確認します」

 

ということだった。また確認。でも、市議からすれば全く知らないことなんだから確認も必要だろうと思った。

 

二、三日して、電話がかかってきた。

 

「いま、課長に資料をまとめさせていますので、それを読み込んでから対応します」ということだった。市役所に1ヶ月待たされた僕としては、二、三日で電話がある市議は頼もしく感じた。

 

それから2週間くらい、何の連絡もなかった。

 

待たされるのは覚悟していたので、僕はその2週間の間にいろいろな場所に連絡をしていた。その中には、政治色がありそうな機関もあった。昔で言うところの細胞だ。その機関はもちろん、はっきりとどの政党の細胞だとは書いていないけれど、僕もいろんな人に会ってきた勘もあって、たぶんある政党の細胞だろうなくらいは感じていた。とはいえ、困っているときにはいろいろと相談する。反社会的組織以外には相談した。

 

市議に電話をしてみた。またこっそり隠れて電話している人みたいな感じだった。

 

「あそこに相談してしまいましたか。僕らにも政党というのがありまして、違う政党が関係すると動けなくなるんです」

 

こんな感じのお返事。市議はもう僕の困りごとを放棄した感じだった。僕としても、その2週間の間に法的な知識を詰め込んでいたというのもあって、率先して動いてくれない市議を動かすつもりもなくなっていた。ただ、この市議には投票しないと決めたくらいだ。

 

市議はあてにならなかった。

 

長女への合理的配慮を求めた結果、保育園からも拒絶、社会福祉協議会も無力、市役所はいつでも確認中、市議は政党を理由に動けない。これだけなら詰んだ気もする。

 

しかし、世論に訴えるというのもあるだろう。テレビや新聞では障害児に対する社会的配慮などをたまに取り上げているし、名古屋市は入管やらいじめ問題やら金メダルやらでメディアによく叩かれている。であれば、メディアの人に相談すればいいのではないか、ということで、とある新聞社にもメールしていた。

 

新聞社からは取材をしたいというお返事が来ていた。次は新聞社だ。