いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

地図に困る!(ボストン篇)<妻の勘は正確だった>

「地図を読めない男、話を聞かない男」(長女1歳)

 

困ったことがあった。

 

昔、地図を読めない女、話を聞かない男とかそんなタイトルの本が流行った。内容は読んでいないし、開いてもいないけれど、タイトルを聞いただけで一知半解してしまう感じの本だ。

 

そして、今回のタイトルらしきもので分かってしまうように、僕は地図も読めないし、話も聞かない。

 

地図を読めないといっても、全く読めないわけでもないし、読むというのをどのような基準にするかで変わってくるだろうし、この地図も山の高低差とか書いてある地図もあれば、さまざまな用途に合わせた地図もあるのだから、全ての地図が全く読めないというようなことになると何か違う。僕が読めないと指摘されやすいのは住宅地図のことだし、全く読めないというよりも、読んでも間違える、というような感じだ。

 

地図を見て間違えた経験があるものは学習をするかといえばそうでもない、地図で間違えた場所の道のりは次からは地図を見なくても行けることも多い。そのため、同じ出発点から同じ目的地に行くために地図を「読む」ことはしない。

 

一度行った場所はだいたい行くことができる。景色で把握しているため、季節が変わったり、日中なのか夜間なのかで多少間違えてしまうこともある。また、これから通うことになるだろうと思われる目的に関しては周囲の道も見て覚えるようにしている。地図を見ても分からないから、景色を覚えるしかない。

 

子供の頃は、動いてしまう物で覚えてしまって道がなかなか覚えられなかった。そのため動かない物を目印にしたかというと、ちょっと違う。動く物を動く物として意識するようにした。そして景色を思い出したときに、たとえば赤い車がある景色を思い出したとしても、赤い車は動いてどこかに行ってしまったということを想像して、記憶の景色と目の前の景色を照らし合わせる。こうやって道を覚える。

 

そういうふうに行き先を覚えていくと、地図に頼ることも減り、自然と、地図を読むという練習を怠るようになるのだろう。航空写真などの方が僕には分かり易い。あれなら読める。

 

僕は景色で覚えているが、妻は文字で覚えている。どんな国の言葉でも構わないらしいが、どこかに文字が書いてあればそれで覚えているらしい。なので、僕と妻が目的地を目指すときには、地図よりも、文字を探したり、景色を探したりしながら向かうことになる。

 

2人とも地図が読めない。

 

子連れで目的地を目指すのであれば、最短ルートを行きたいところだ。迷うことなんてしたくない。子供がいつぐずるか分からないし、おむつを変える必要もあるかもしれないし、ミルクをあげている時期であれば、定期的なミルクも必要になる。

 

しかし僕らはよく迷っていた。

 

はじめての場所では必ず迷っていた。スマホで地図を開いてみても、ナビゲーション機能を使っても、なぜか迷う。僕も妻も右左をよく間違える。2人で間違える。

 

妻は方向音痴で、妻の勘はハズレる。このハズレがいつでも正確なので、妻が「こっちだよ」と行ったときは、その逆に行くようにすると正しい道に出る。そう考えれば、妻の勘はあてになった。

 

僕は方向音痴と言われたことがほとんどない。なのに迷うのはどういうわけだろう。

 

地下鉄から出たときは全くダメだ。何が何だか分からなくなる。地上を走る電車やバスであれば、ずっと外の景色を見て、自分がいたところからの景色と繋げて、どうにか方向くらいはズレずにすむ。地下から出てくるとそれができない。方向も分からない。太陽の位置などで判断するようにはしている。

 

2人で迷ったときは、妻の方向感覚の逆を行き、妻の見覚えのある通りの名前を探す。そして、地図を見ながら、通りの名前を探して妻の知っている名前を見つけることで窮地を脱する。

 

地図を読むとは通りや地名を「読む」ということなのだろう。

 

話を聞かない男に関しては、よく分からない、僕はずっとしゃべっていることが多いから、結果、話を聞かないと言われることも多いけど、そのとき言われた話は覚えていることも多い。相槌をしない男とか聞いているアクションをしない男という感じかもしれない。

 

「こっちの道だよ、ねえ、聞いてるの?」

 

と言われる。もちろん聞いている。そして考えている。妻の「こっち」はだいたい逆だろうと。そして、逆の道を行く。そうなると、話を聞いていない男になる。そんな感じで、僕は地図も読めないし、話も聞かない男になる。