いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

包丁に困る!(主夫篇)<YOSHIKINのGLOBAL包丁がお気に入りです>

「グローバルの包丁を選んだわけ」

 

困ったことがあった。

 

僕は料理をする。料理をするということで、サッポロ一番の話を書いてしまったけれども、インスタントラーメンだけじゃなくて、野菜を切ったりお肉を切ったりして、煮たり焼いたり炒めたりと、そんな普通の料理をする。

 

料理をするときに、使う物がある。それが包丁だ。

 

包丁は100円ショップの三徳包丁から合羽橋なんかで売っている立派な柳刃包丁やらマグロを卸したりするときの2人がかりで使うようなものまである。包丁セットに憧れてみたり、昔の歌に合った包丁一本さらしに巻いて、みたいな職人がずっと肌身離さずに大切にする包丁に憧れてみたりもする。

 

切れ味の良すぎる包丁は慣れていないと自分の指も切りやすいから研ぎすぎない方がいい、と若い頃のバイト先で言われたことは書いた。

 

16歳のときに割烹料理のお店でバイトをしていた。僕は簡単な仕込みや調理場の掃除や倉庫の片付けみたいなことばかりやっていて、包丁を持たせてもらったこともない。デッキブラシをかけつづけるバイトだった。天ぷらとかもあるから、床は油汚れが頑固だった。

 

板前さんが包丁を使っているときにはその後ろを歩いてはならない、とそのとき教えられた。やさしく教えてくれる場所じゃない。ゲンコツとともに教えてもらった。たしか、後ろを通ります、と言って通れと言われた気がする。まあ、後ろを通りますって言っても「声が小さい」とか「ちゃんと動きを見ろ」とか言って、またゲンコツを食うわけなんだけれども、男のバイトはだいたい板前さんが殴る対象で、女のバイトはセクハラ対象だった。ひどいバイト先だった。

 

洗い物をしているときに、そんな板前さんの包丁捌きを見ていた。刺身を切るときにスーッと包丁を手前に引く姿がカッコよかった。いわゆる柳刃包丁というやつだったんだろうけれども、ああいう包丁が欲しいと思ったものだった。

 

はじめて一人暮らしをしたときにはミニキッチンしかなくて、コンロも一つ、まな板を置く場所もない。狭いシンクのコーナーにまな板を置いて包丁を使うのは、慣れていない僕には怖さしかなかった。面倒だということもあって、ホームセンターで買った三徳包丁は使われないまま錆びていった。

 

その後、最初の結婚をしたときにちゃんとしたキッチンになったけれども、台所用具は使い古したものだけで十分と考えていた前妻は、僕が欲しい包丁も必要ないという意見だった。研げばいいということで砥石があったがほとんど使われることもなく、砥石を使ったのは僕だけだったけれど、あまりうまく研げなかった。

 

包丁のストレスは、なんといっても切れない包丁。

 

トマトを切るときに、トマトの皮で滑る。鳥の皮がなかなか切れない。そんな包丁は料理する気もなくなってしまう。

 

合羽橋あたりで仕事をしていたということもあって、よく包丁を見ていた。カッコいい包丁ばかりで何を買っていいのか分からない。包丁の歴史を調べてみたりするばかりで、包丁セットを買えばいいのか、包丁一本をピカピカにして使っていくのかも決めかねて、結局なにも買わずにいた。

 

今の妻と結婚して、料理は僕がやることになった。すぐに渡米が決まっていたということもあって、包丁は新しいのを買わずに、妻の包丁を使っていた。切れ味は悪かった。トマトの皮で滑る。

 

アメリカで包丁を買った。ナイフセットだ。柄もステンレスなのは衛生的で気に入っていた。しかし安物だったというのもあるけれども、帰国時に持って帰るつもりもなかったということもあって、研ぐこともしないで、帰国時に管理人さんに譲ってきた。

 

僕には心に決めていた包丁があった。安いナイフセットを買うときから実は心に決めていた。

 

アメリカのニュース番組にCNNというがある。そこで、アンソニーという料理人が世界中を巡って何かを食べるというコーナーがあった。なかなか面白い人だった。

 

アンソニー・ボーデインが『キッチン・コンフィデンシャル』という本の中で包丁について書いていた。

 

グローバルの包丁一本で十分だ。ということだった。

 

本の中では、他の包丁よりも安価で使いやすいみたいなふうにあったけれども、グローバルの包丁はそこそこの値がする。そして日本製だ。

 

YOSHIKINあるいは吉田金属工業というところで作られているGLOBAL包丁のこと。

 

これがまたカッコいい。柄までステンレスで機能美というのは刃物を見るときに感じてしまうものだけれども、刃物のかっこよさがそこにはある。他にも似たようなものもあるし、ネットで調べてみると、グローバルよりも安くて評判のいいものもある。テレビに出ている料理タレントが何から何に変えたとか、誰々愛用とかいろいろとある。

 

僕が日本の料理番組好きだったら、きっとその料理人と同じのを欲しがったかもしれないし、16歳のときに見た板前さんのような柳刃包丁を最初に買ったかもしれないけれど、僕の包丁は、トニーが書いていたグローバルになった。

 

グローバルの包丁を使って、2年が過ぎた。シャープナーで研いだのは4回。といっても、トマトの皮で滑ったりしたとか、鳥の皮が切れなくなったというわけではなくて、ちょっと切れ味が悪くなってきたかな? と思うのが毎日使っていても、半年くらいで感じるというくらい。

 

愛用する包丁があるのはいいことだ。たまに面倒だと思ってしまう料理も、思い入れのあるグローバルの包丁を持てば少しは楽しくなる。2年使ってまだ飽きない。

 

こだわりの調理道具はまだある。フライパンと鍋。そのことはまた書くことにする。アメリカにいるときに、アンソニー・ボーデインが自殺してしまった。彼の本を読んでいる人ならなんとなく分かるかもしれないけれども、料理人として成功して、CNNでコーナーまで持っていても、彼はどこか辛かったんだろう。

 

本の一節にも、恵まれた環境を活かしきれなかったと自嘲気味に書いているところがあった。彼の父親はコロンビアレコードの重役で、環境としては恵まれ過ぎているくらい恵まれていたのだろう。お金やコネなどに恵まれたことを隠しもしない彼は、華やかな感じの中にどこか暗い表情があった。その暗さがまた彼の魅力でも合った。自殺のニュースを見て、とても寂しかった。グローバルの包丁を握っていると、たまに彼の顔が思い浮かぶ。