いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

砂場で困る!(ボストン篇)<アメリカと日本の違いもあれば、公園による違いもある>

「それは誰の物?」(長女2歳)

 

困ったことがあった。

 

長女は公園に行くのが好きだった。たまに玄関で癇癪を起こしてしまったり、公園に行く途中で泣き出してしまうこともあったけれど、2歳にならないうちから歩いて公園に行くようになった。

 

公園が好きなのはブランコがあるからなんだけど、もう一つ楽しみにしているのが砂場だった。近所の公園は新しくできた公園ということもあり、とても綺麗で、砂場も定期的に殺菌されていたりして、基本が不衛生なアメリカだというのに砂場はとても綺麗だった。

 

アメリカは、弱者に対して社会が厳しくすると、不公平、不平等という批判を浴びやすい。そのため、公共の場では弱者に優しくするのが基本になっている。日本だと公共の場ですら、妙な平等性、公平性で弱者にとっては厳しい場所になりがちだから、わかりやすい文化の違いでもある。

 

と、砂場ひとつで大袈裟な話になってしまった。

 

単に砂場が綺麗だということ。平日でも長女と同じくらいの年齢の子供たちが公園にいる。ママやパパ、それにシッターさんと性別も年代も肌の色も出身国もバラバラだ。

 

長女が遊ぶ公園は主に四つほどあったが、砂場があるのは二つ。近所の公園は綺麗な方で、もう一つの方は古い公園ではあるから、それなりに年季が入っていたけれども、砂場自体は綺麗に思える。そこには近所の人たちが持ち込んだオモチャもたくさんあるし、すでにコミュニティーもできているので、最初は居心地が悪かった。通ううちに二、三人のパパ友ができたので、彼らと話すために通っていた。1人のパパ友は声がやたらと渋かった。

 

コミュニティーができている公園は、それぞれの子供も慣れている部分もあるので、おもちゃの奪い合いや場所の取り合いなどで揉めることはなかった。子供同士で揉めそうになると、親がすぐに介入するし、目を離している親もあまりいなかった。たまにシッターさんが放置している子がいたけれども、その子も一緒になって遊んでいたりした。

 

その子は、長女のことが気になるみたいで、すぐに長女の近くにきてチョッカイを出してきた。その子といっても3歳くらい。微笑ましい光景ではあるが、長女が泣いてしまうとどうしたらいいのかと思って、シッターさんを見るけど、こちらは見ずにシッター仲間と話している。ベビーシッターのアタリハズレはあると思った。

 

ベビーシッターの中には長女を巻き込んで遊んでくれる人もいて、もらいシッターしている感じがした。もしシッターを頼むのならあの人にお願いしたいとか思ったものだ。モデルみたいな感じの若い女性だったので、僕が連絡先を聞くのはやましいと思われるだろうから、連絡先を聞くようなことはしなかったけれど。

 

コミュニティーのできている公園は楽な部分もあるし、面倒な部分もある。長女は、いつもチョッカイ出してくる子に会うのが嫌になったのか、その公園に行くのを拒否するようになった。

 

そんな経緯もあって、近所の綺麗な公園に行くことになった。パパ友と話すのが息抜きだった僕には少し寂しい感じもした。

 

近所の綺麗な公園は、できたてということもあり、コミュニティーはまだない。遠くから来ている人もいたし、近所の人もいる。たまに話をすることはあったけど、次に来たらいないことも多かった。

 

長女はそこの綺麗な砂場がお気に入りだった。できたばかりの公園ということもあり、習慣的にそこの砂場で遊んでいる子も少ない。長女が独占している時間も多くあった。

 

僕は長女と2人で砂場遊びをした。山を作ったり、穴を掘ったりする。何回か通って、砂場遊び用のシャベルやバケツとかも買って遊ぶようになった。まだシャベルやバケツがうまく使えるわけじゃないが、それなりに楽しそうにしていた。

 

いつの頃からか、その砂場にはたくさん人が来るようになった。長女と僕が作った山の上に男の子が乗っかってきて壊していったり、長女のシャベルやバケツが取られてしまう。一応、長女の名前を書いておいた。シャベルにしてもバケツにしても長女と一緒に遊んでくれているときには問題なかったけれど、うまく遊べない長女に飽きてしまった子がシャベルやバケツを持ったまま他の場所に行ってしまう。そして長女が泣く。そんなことが続いていた。

 

この公園にはまだコミュニティーもできていない。大人同士で話をしていて子供を見ていない親も多い。砂場で起きていることに気がつく親はあまりいない。他人の子に何か言いたくはないし、砂場で遊ぶオモチャなんだから共有してもいいと思っていたけど、長女がこの公園にも行きたくないとなったら砂場は全滅だ。

 

「それはこの子のなんだよ」

 

「私のだよ」

 

「ほら、ここに名前が書いてあるよ」

 

4歳くらいだろうか。その子は名前が書いてあるのを見て、返してくれた。しっかりした子だった。

 

「じゃあ、貸して」

 

「いいよ、一緒に遊んでね」

 

そうして、長女と一緒に遊んでくれた。その子はとても賢い子なのだろう。他にもバケツを取って行ってしまう子や、妙に誤魔化す子もいたりしたけれども、こうやって長女も他の友達との関係を持っていくものだと思っていた。長女は笑ったり泣いたりしていた。

 

幸い、その公園には帰国前まで通うことができた。乱暴な子がいるかと思えば、それを嗜める子もいたり、物を借りるときにきちんと挨拶をして、終わったらキチンと返しに来る子もいる。

 

公園によって子供の雰囲気が違うと思った。コミュニティーのある公園は子供も仲がよかったし、揉めることもなかった。率先して一緒に遊んでくれる子が多かった。綺麗な公園もきっと今頃は素敵なコミュニティーができているだろう。友人の家の近くの公園に行ったことがある。そこの公園はなんだか殺伐としていた。子供たちが「私の!」「私の!」と叫び回って、争ってばかりいる。そのことを友人に話すと、ここは大人もそんな感じだ、と言っていた。たしかに見回してみると、公園のベンチは年配の大人たちに占拠されていた。オムツを替えるのも難しそうだと思った。友人は自転車でうちの近所の公園に通ってくるようになった。

 

公園ひとつとっても、文化の違いみたいなものがある。

 

不思議なことにその友人を見ると、長女は大泣きした。優しいスイス人の彼女は、いつも隠れてくれた。