いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

お気に入りに困る!(自閉症児篇)<「私の」「あそぼ」が言えなかった長女>

「お気に入りの物をあげてしまう」(長女3歳、双子11ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

長女は3歳になった。帰国して半年くらい経ったということもあり、ずいぶんと落ち着いてきた。また、保育園で他の友達と遊ぶことも増えてきて、以前のように突然、泣き出してしまうようなことも減ってきたようにも思う。

 

言葉が遅れている長女は、自分の要求を言えなかったりすることもあり、2歳くらいから同世代の子供たちと遊ぶと1人で泣いてしまうことがあった。仲の良い友達には他害とまでいくと大袈裟だけれども、相手が嫌がることもしてしまうことも多々あった。

 

相手が泣き出してしまって、やっと理解するようで、自分も泣いていた。

 

長女の他害は、噛んだり、ぶったり、押したりするような他害ではなかった。ただ、相手のお気に入りのものをとってしまうということがあった。

 

長女にも、何が自分の物で、何が自分の物じゃないという認識はあるが、子供同士の遊びは、それぞれが領域侵犯をするような遊びが多く、長女の物がとられることもあるし、誰かの物をとって遊ぶということがある。2歳くらいまでは、それぞれが自分の物をシェアするということにそんなに疑問がない感じだった。

 

長女からすれば、自分の物がシェアされるように、人のものもシェアできるという認識の方が強かったのかもしれない。

 

それに、長女は「自分の物」であるという発語ができなかった。「これ私の」という言葉でない。「これ」も「私の」も言わない。

 

「なんで何も言わないの?」「なんで喋らないの?」

 

と、長女の保育園のお友達からよく聞かれた。その度に、長女は障害があるからと、子供たちに説明していたけれども、子供に理解してもらうために言っているというよりも、周囲の大人たちに理解してもらうために言っていた。

 

保育士さんたちも、定型発達の子供に、非定型発達の子供への理解をどう説明したらいいのか分からずにいたようだった。無邪気な質問を僕に投げかけてくる子供の親御さんたちも、僕の発言をどうしたらいいのか分からない様子だった。そそくさといなくなってしまうこともある。

 

「どうして喋れないの?」

 

「どうしてだろうね」

 

こういうやりとりしかできないものだ。しかし、長女が喋ることができないことを理解してもらったとしても、喋ることができないからこそ起こるトラブルは回避できない。

 

長女が友達のオモチャをとってしまうときには、友達から「これ私の」と言われる。しかし、長女には理解できない。そしてトラブルになる。反対に、長女の物がとられてしまうこともあるが、そのとき長女は何も言うことができない。そのときはトラブルにならないが、僕と2人っきりになったときに癇癪を起こしてしまう。原因が分かるまで時間がかかる。

 

「保育園?」と聞く、泣きながら頷く、「転んだの?」、頷かない、「友達?」、泣きながら頷く、「ぶったの?」、頷かない、「ぶたれたの?」、頷かない、「とったの?」、頷かない、とこんな感じで、時間をかけながら聞いていく。最終的に、自分の物が取られてしまった、ということが導き出される。

 

次の日に、保育士さんに聞くと、「全然、泣いたりしてなかったですよ。気に入ってるオモチャなのに譲ってあげてえらいね、って褒めてあげてたんです。優しいですよね」という解釈になっていることがある。長女は優しいのかもしれないけど、その前に、ただ発語ができないだけだったりもする。黙っているからと言って了解しているわけではない。

 

子供とはいえ、このような世知辛い関係を利用することもある。発語のできない子が、全てを許容しているわけではないのに、黙っているから、拒絶の意思が表明されなかったから、ということで、自分のお気に入りや、自分の物を人に渡してしまう。想像すると悲しいことだ。知的障害者がいろいろな被害に合うという報告を読むとつらい気持ちになる。

 

たまに弟の家族が遊びに来てくれる。弟夫婦にも3人子供がいる。一番下の甥っ子は長女の2歳年上で、2人は見た目が似ているということもあって、帰国してからも仲がいい。

 

長女はその従兄弟が好きだった。従兄弟は二つ上の男の子ということもあって、身体能力が高めの長女にとっては同世代よりも飛んだり跳ねたりかけっこしたりと、そういう遊びはスリルがあるらしく、ついて回る。楽しそうにしている。

 

室内で遊ぶとき、長女のお気に入りや大事な物は、従兄弟たちに触られないように閉まってある。でも、長女としては、お気に入りのおもちゃが見せたいらしくて、僕や妻に出して欲しいのか、しまってある場所までクレーン行動で連れて行く。

 

仕方なくオモチャを出すと、お気に入りのオモチャを従兄弟に渡してしまう。きっと、長女としては、そのオモチャで一緒に遊びたかったのだろう。だけど、「あそぼ」という言葉がでない。従兄弟の男の子は、もらったと思ってしまう。長女は「私の」という言葉がでない。

 

子供同士の遊びに親が出ていくのはよくないかもしれないけど、長女のオモチャを持ったまま抱きしめて逃げている従兄弟に、「それは長女(実際には名前)のだよ、一緒に遊んであげてね」と言うと、「もらったんだ、俺のだ」ということになってしまう。従兄弟のお父さん、つまりは僕の弟も出てきて、「もらってないでしょ、長女ちゃんのでしょ」と言って返そうとする。そして、従兄弟は放り投げたり、分解したりして、オモチャは無惨なことになる。

 

そういうときに、長女は泣かない。ただ黙っている。

 

弟夫婦が帰宅してから、長女は泣き出す。事情はわかっているけれども聞いてみる。「オモチャ壊されちゃったから?」、泣きながら頷く、「一緒に遊びたかったの?」、泣きながら頷く、「直すからね」、泣きながら頷く。お気に入りのオモチャならしまっておけばいいのに、お気に入りこそ、一緒に遊びたくなってしまう。そして渡してしまう。

 

従兄弟もこういうやりとりが嫌になってしまったのか、徐々に、長女と遊んでくれなくなってしまった。あるとき、長女のお気に入りのぬいぐるみを持ってきて、長女の前で引き裂いたことがあった。「私の」と言えない長女を責めているような感じでもあった。そして、何も言えない長女を庇う僕たちを責めるような感じでもあった。

 

従兄弟の気持ちも分かる。自分の大切なものならなぜ渡してくるんだろう、と思っているのだろう。それはそうだと思う。4、5歳では、他者の状況や条件が理解できない。まあ、たまに40、50歳でも理解できていない大人もいるくらいだ。難しいことだとは思う。

 

僕にしても、父親である弟にしても、どう説明していいのか分からないままだった。ただ、長女は障害があると言うことしかできなかった。

 

4歳を過ぎて、長女は、「私の」と「あそぼ」と言えるようになってきた。それによってトラブルが減るわけではないけど、少なくとも、トラブルの質は変わってきた。周囲の大人たちがどういうトラブルなのか理解できるようになってきたというのが大きいのかもしれない。