いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

言語の遅れに困る!(障害児篇)<3歳になれば話すよ、なんて言わない方がいい>

「言語の療育に通うことになった」(長女2歳8ヶ月、双子7ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

長女は言語が遅れていた。言語が遅れていると言うと「3歳になるまで喋らなかった」など、それぞれの体験談を教えてくれる人もいる。僕の弟も3歳になるまで喋らなかった。そんなこともあって、僕はどこか楽観的でもあった。3歳になれば話すだろう、ちょっと遅れているくらいだろうと考えようとしていた。

 

しかし、3歳になっても喋らなかったらどうしよう。僕が考えている以上に、言語の遅れというのは長女にストレスを与えているのかもしれないし、放置したまま必要なケアをしていないことになっているかもしれない。

 

励ましとして「僕も(うちの子も)3歳になるまで喋らなかったよ」と言う人の優しさは分かるけど、その言葉にすがって長女の障害をそのままにしてしまっていたとしたら、後悔するだろう。また、過度に心配する親に対して、たしなめるように「3歳になるまで」という人もいるかもしれない。これはこれで危険で、もしかしたら恨まれる余計な言葉かもしれない。

 

親は心配していい。心配しすぎるくらいでもいいと思う。心配している親を見て何かを言いたくなる人の方に何かしらの問題があるのかもしれないし、相互の関係に歪な問題があるかもしれない。

 

妻は心配性なところがある。妻に対して、僕も心配しすぎじゃないか、と思うこともあった。しかし、妻がいろいろと調べたりしているのを一緒に読んだり、話したりしているうちに、その心配は妥当なことだと思うようになった。

 

人は自分を基準に考えてしまうところがどうしてもある。長女を見ながら「僕もこうしてたよ」みたいに言っていると、僕は僕で非定型発達の定型だったことが分かっていった。

 

「僕も3歳まで話せなかったよ」と言っていた仕事仲間は、たしかに、ちょっと変わった人だった。物忘れが異常に多く、真剣に話したことも1ヶ月後には忘れてしまう。仕事仲間の子供時代、学生時代の話を聞くと、凸凹発達もいいところだった。ただ、その友人は世間からすれば優秀な学歴だったために「ちゃんと成長した」ように思われているだけで、一緒に仕事をしていると、おいおいって思うようなミスもしていた。その分、妙にすごいところもあって一緒に仕事をするのは面白かった。多言語話者で好奇心が旺盛な人だった。

 

3歳まで喋れなかった僕の弟も、少し変わっていた。中学1年の頃に突然、勉強をやめてしまった。「くだらない」と言ってやめてしまったのだ。成績は良かったと思うけど、やめてしまった。弟とは同じ環境だったから、彼が勉強をやめてしまったのは分かる。貧乏な家庭に育つと、勉強をして切り開く未来が全く見えない。だったら早く働いて自立したいと近視眼的に思ってしまう。周囲に勉強をして身を立てたというモデルがいない。弟も弟で少し障害があったのかもしれない。異常に合理的で即断即決だった。

 

「3歳まで喋らなかった」と言っている人たちは、もしかしたら自身の障害に気がついていないか、本人が知らないところでケアをされていたのかもしれない。ちなみに、僕は立ち上がる前に喋り始めたらしい。母の言うことだからあてにはできない。

 

長女の言語の遅れについて、心配した妻がアメリカでいろいろと働きかけて、早期介入の必要と自閉症の診断が降りた。日本に戻ってからは言語の療育に通うことになった。

 

長女は喋らなかった。少しずつ単語は増えてきているけれども、2歳になってもなかなか単語は増えない。水のことを英語の幼児語で「ワーワー」と言ったりしたが、あまり多くは発語できなかった。

 

帰国して保育園に通うと、同じ保育園に通う子たちとの言葉の差は明らかだった。ただ、体の発育はいいのか他の子たちより一回り大きく、身体能力には問題がなさそうだった。長女は言語認識と発語が遅れていた。

 

言語の療育に通うことになった。生理現象を伝えることができないことに本人も苦しんでいる様子があったので、「おしっこ」や「うんち」などと言えるようにしたかった。トイトレもしてくれる療育だったので、療育と家で言語によるトイトレをしていた。この目的は達成できないまま、東京から引っ越すことになった。

 

3歳になったあたりで、自分の名前が言えるようになった。それだけでも僕らは大喜びだ。それまでは名前を呼んでも振り向かなかった。振り向くことがあっても、同じトーンで呼びかけると同じ頻度で振り向いた。昔、飼っていた犬と同じだった。

 

アンパンマンのことをアンパンパンと言うようになったり、大好きなコキンちゃんのことはいつまでも「ドッキン」と呼んでいた。コキンちゃんとドキンちゃんの区別がつくようになったのは4歳になってからだった。

 

東京にいる間は、待ち望んだ言語の爆発はなく、また、「3歳になったら喋るよ」という3歳をすぎても、単発的な単語は増えてきたけれども、喋る、ということまではいかなかった。

 

3歳になっても喋らない長女を見たとき、早めに発達障害のケアをはじめていて良かったと思った。気にしすぎと否定的に僕らの育児を見る人がいても、うるせえ、って感じで振る舞ってよかったと思った。