いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

「演奏に困る!」(再東京篇)<ハーモニカで挫折>

「もしも楽器ができたなら」(長女3歳1ヶ月、双子1歳)

 

困ったことがあった。

 

子供たちと遊んでいると、おもちゃの楽器のようなものがある。鉄琴のおもちゃだったり、トイピアノだったり、打楽器のようなものだったり、いろいろとある。

 

友人の家に子供を連れて遊びに行くと、おもちゃの楽器を巧みに演奏しているお父さんやお母さんがいる。その姿を見るたびに憧れてしまう。妻もひょいとキーボードを叩いて、聞いたことがある曲をやることがある。妻は絵も上手い。僕は何もできない。

 

楽器ができる人がいるときは、その人に模範演奏をしてもらえばいいのだけれども、子供の中に僕1人と楽器があるときに少し気まずくなる。子供たちはあまり気にしていないのかもしれないが、なんだか期待されている感じもある。

 

小学生の頃、父からハーモニカをプレゼントしてもらったことがあった。

 

なぜハーモニカを僕が欲しがったのか覚えていない。思い出そうとしてもよく分からない。当時の経験や趣味などから考えても僕がハーモニカを欲しがるのは少しおかしい。あの頃は、顕微鏡か望遠鏡が欲しかった。もちろん買ってもらえるわけもない。なぜハーモニカを買ってもらったんだろう。

 

小学校2年生あたりのときに、学校で子供用のハーモニカは買わされたと思う。そのとき、「キラキラ星」を演奏するというのがあった。僕は不器用でハーモニカが上手く吹けず、最後の1人になり、椅子の上に立たされて、1人で涙を流しながら「キラキラ星」を吹かされた。居残りさせられても吹けなかった。

 

吹けなかったのは理由がある。ハーモニカの穴には一つ一つ仕切りがある。僕はその仕切りの一つの穴だけに息を吹きかけなければならないと思っていて、他の音が出てしまうと失敗したと思い込んでいた。音が混ざってハルモニア(調和)するのがハーモニカの醍醐味だということが分かっていなかったから、単音を出そうと苦しんでいた。

 

小学校2年生の言語能力ではそれが説明できなかった。そのため担任は「できない」という僕の涙の訴えを却下し「みんなできています」とできない理由を探らずに、演奏だけをやらせたのだろう。今であれば、「ハルモニアについて説明してくれないから分からないのですよ」と単音での表記になっていることを指摘しただろう。今でもその担任とは意見が並行線になってしまって結局、椅子に立たされて僕は泣いたかもしれない。

 

少し思い出してきた。ハーモニカができなくて泣いた、という話を噂好きの近所の同級生のおばあさんから母親が聞いたりしたのか分からないけど、母親に問い詰められた。そして楽器が得意な父にそれを話したんだと思う。父が小学生用のハーモニカを吹いてこれじゃあダメだ、みたいになって、小学生の手には大きすぎるハーモニカを買ってきた。そうだ、僕は欲しがっていない。

 

ただ、その大きなハーモニカは綺麗な箱に入っていて、見た目もキラキラしていて、一発で気に入ってしまった。学校のハーモニカと違って重みもあるハーモニカは鈍器のようで、弟と喧嘩したときにそのハーモニカを使ったことまで思い出した。

 

父の前で試しに吹いてみた。「いい音がする」とか、最初は褒められた気がする。僕は嬉しくなってプカプカやっていた。何かの曲をやるよりも、プカプカやっているだけで満足だったし、「キラキラ星」なんかよりよっぽど良かった。

 

そのうちプカプカばかりを見かねたというか、聞きかねた父が、僕のハーモニカで演奏した。それがとてもいやだった。保育園くらいから潔癖症が強くなっていた僕は、小さな頃から家族で鍋をつつくのも嫌いで、1人だけ別に取り分けてもらっていた。グラスや湯呑みも家族の誰かが口をつけた痕跡があると絶対口にしなかった。ハーモニカを父が吹いたとき、泣いてしまったことを覚えている。

 

母は僕の潔癖症をよく知っていたので、ハーモニカを洗った。父が錆びるからやめろと言っていた。父と母が喧嘩していた。そんなに喧嘩をしない夫婦だったけれども、僕が喧嘩の火種になることは多かった。寝ている父にカンチョーをして父が激昂したときも、僕を庇った母と父が喧嘩をしたことがあった。

 

濡れたハーモニカに口をつけてプカプカやろうとすると、水が飛び散った。少し楽しかったのを覚えている。その後、ハーモニカを僕が吹くことはなくなり、次第と置物になっていった。形は気に入っていたのでたまに磨いたりしていた。

 

それから10年以上経って、実家に寄ると、父の所有物になっていた。父はたまにハーモニカを吹いていた。父の死後、そのハーモニカがどこに行ったのか分からない。

 

思い出話が長くなってしまったけれど、あのとき、僕がハーモニカは単音で吹くものじゃないと分かっていれば楽器ができたのだろうか、それとも、潔癖症じゃなければ楽器ができるようになったのだろうか、その後も楽器に触れる機会はあったけれど、どうにも苦手意識が先行して楽器を演奏することに前向きになれなかった。

 

子供たちに囲まれて、僕はおもちゃの楽器に触れる。鍵盤をバーンと鳴らして、変な顔をした。ウケた。ビニールの太鼓をボーンと放り投げて変な顔をした。ウケた。演奏はできなくても誤魔化すことだけは上手くなっていた。

 

次女は自動演奏を聞きながら1人でリズムをとっていた。