いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

手運びに困る!(再東京篇)<本を運ぶのはたいへんだ>

「帰国してレンタル倉庫から荷物を出した」(長女2歳8ヶ月、双子7ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

日本に戻ってきて2ヶ月、そろそろ渡米前に借りたレンタル倉庫を解約したいと思っていた。レンタル倉庫は室内型ということもあって、月2万5千円くらいかかっていた。バカにならない金額だ。

 

アメリカでは緊縮財政だったけれど、双子も生まれたりとかなんとかあって、出費が多かった。帰国後は家電やら生活用品やらを買っていると経済感覚がお金持ちになってしまった感じで、おかしくなった。必要なものを買っているのだから仕方ないとはいえ、毎週のように10万円くらい降ろしては消えていた。

 

僕ら夫婦にはいくつか取り決めがある。引越しなど大きな変化のときには無駄な出費と思えてしまうことでも、生活の不便さを補うために余計な出費が増えてしまう。このことは節約しようとしても、節約がそのまま疲れに直結してしまうので、引越し費用や大きな家電などに関しては値引き交渉や節約はするけれども、小さな出費には目をつぶるというものだ。

 

とはいえ、日本に帰ってきたときの妙なハイテンションで、僕が細々とした便利グッズを買い集めているのは妻も少し呆れたようだ。

 

この出費を取り戻さなければならない。

 

レンタル倉庫はもう1ヶ月くらい余裕をもって解約するつもりだった。しかし、もう1ヶ月延長すればその分の賃料がかかる。便利グッズで使ってしまった費用をここで取り戻すためには、予定を1ヶ月はやめるしかない。

 

また、前回お願いした運送会社が安くて気のいいおっさんとお兄さんだったとはいえ、ここで数万円の出費になるのも抑えたい。渡米前には帰国後にもお願いすると思いますとか言ってしまったのが気になりながらも、自分でやることにした。

 

弟と僕は仲がいい。レンタル倉庫の話をすると、弟も手伝ってくれるということだった。費用はレンタカー代だけになった。その代わりに、僕は弟の仕事の会計やら書類申請の書類を手伝った。数字は好きだ。

 

手運び当日、弟が朝早く迎えにきた。明け方まで乳児の双子の世話をしていて疲れてはいたけれども、ここで頑張れば10万円以上は浮く計算だ。子供3人の世話を妻に任せるのは気が引けたが、一緒に10万円稼ぐつもりで、この日を乗り切ろうと話していた。

 

倉庫に行った。弟は荷物を見て、愕然としていた。

 

「入りきらないと思うよ」

 

「ぎりぎり入ると思う」

 

賭けることはしなかったが、最終的には引き分けだった。なぜ引き分けかというと、荷物は乗るには乗った。そこは僕の勝ちだ。しかし、重量が超えているかもしれなかった。そこは弟の勝ちだった。重量を超えていると車の運転中におかしくなることがあるらしい。過積載ということで交通法規違反にもなるらしい。しかし、実際に過積載になっているのか調べる術もない。

 

「じゃあ、やっぱり2回に分ける?」

 

と弟に聞いたけれども、荷物を運ぶ運転に慣れている弟が言うには、ぎりぎりかもしれないから気をつけて運ぼうということになった。重くなったのは本が多すぎたからだと思う。

 

荷物を車に入れるだけで結構時間がかかった。僕も弟も何度も腰を痛めているので、2人ともコルセットをしながら作業をしている。ふと、子供のころに弟と2人で遊んでいたことなどを思い出した。そのときも、こうして2人で川の中の石を運んだりしたものだ。腰痛コルセットはしていなかったけれど。

 

レンタルルームの解約はその場でできる感じだったので、入り口のカードを返却して、念のために電話で確認した。そして慎重にうちに戻った。

 

「レンタカーの時間がやばいかも」

 

急いで積荷を出した。大きな本棚などは弟が運んでくれた。僕と運ぶ方が危ないと言って1人で運んでいる弟の腕はとても立派だ。20歳そこそこの頃は、筋肉でワキがしまらないと言っていたし、街中では格闘家に間違えられたことも一度や二度ではない。ムキムキだ。

 

そんな頼もしい弟に、大きな荷物は持っていってもらって、僕は本が入った段ボールをせっせと運んでいた。家の中にまで置く時間はないから、入り口付近に積み重ねていた。幸い、その建物は入り口付近が広く、段ボールを100個以上積み重ねても歩行者の邪魔にはならないように並べることができた。

 

妻は、双子を抱っこ紐で抱っこして、長女をベビーカーに乗せて、双子の会みたいな集まりに参加していた。帰りに入口の段ボールを見て恐怖を覚えたらしい。

 

弟の作業は終わった。あとはレンタカーを返しに行く。

 

「これ、兄ちゃん1人でやれる? レンタカーを返した後に手伝いに来た方がいい?」

 

兄としてここは甘えてはならない、となぜかそう思った。

 

「大丈夫だよ、時間もまだあるから1人でコツコツやるよ。今日はありがとうねー」

 

と言って、弟は去っていった。本当は、戻ってきて手伝って欲しかった。

 

弟が帰ったのが17時。そのあと、ご飯を作ったり、子供たちをトイレに入れたり、寝かしつけたりした。段ボールを部屋の中に入れ終わったのは深夜0時近かった。なんだか無性にコンビニ弁当とコンビニスイーツが食べたくなったので、日本に帰ってきてはじめて食べた。懐かしいと思った。肉体労働の後の体にコンビニ弁当は染み渡る気がした。

 

翌日、弟からメールがあった。「大丈夫だった?」「なんてことはなかったよ」と腰をさすりながら返信した。いくつになっても兄の矜持みたいなものはある。