「何のために家計簿をつけるのか」
困ったことがあった。
家計簿をつけるのは僕の担当だった。フリーランスで仕事をしていたということもあり、確定申告などもずっと一人でやってきていたというのもあるし、数字を扱うのは好きだった。妻は所属先がある仕事だったということもあって、確定申告などはほとんどしていなかったそうだ。
結婚してから、妻もイレギュラーな仕事の収入などでわずかとはいえ確定申告の必要があることが分かった。これまでどうやっていたのか聞くのが怖かったので聞いていないが、結婚後は僕が妻の分もやるようになった。
そんな経緯もあって、僕が家計簿をつけることになった。
アメリカに行くと、思ったよりも物価が高かった。またミルクやらオムツの消耗品や育児グッズにもお金がかかるということもあり、我が家は緊縮財政の方針をとった。緊縮財政といっても、つらくなるような節約をするというのではなく、海外生活でやもすると気が大きくなったり、せっかくだから、という感じで散財してしまうことがないように、毎月のお金の動きを明確にし、必要な経費と絞るべき出費を相談するという感じだった。
赤字にならないようにする。これが我が家の方針だった。
当たり前といえば当たり前の方針だし、ぎりぎりといえばぎりぎりでカツカツな方針なのだけれど、駐在員とも違う立場で来ている僕らの環境は、赤字になる人も多いという話も聞いていた。赤字にならない、つまり、互いの貯金を使わないようにするというだけでも、それなりに気をつけなければならない。
緊縮財政となると、家計簿は正確にしなければならない。そして、僕は1ドル単位、いや、セント単位で記録するのが好きな性分だったということもあって、とても細かい家計簿になった。細かい家計簿をつけるためには、毎日つけなければならない。数日放置しただけで、セント単位は見落とされる。
25セント硬貨が4枚で1ドルになる、1ドルを100回見過ごせば100ドルだ。25セントを1回見逃してしまえば、つもりつもって、一年に100ドル以上見過ごすことになる。いま、こうして書いてみて気がついた。一年に100ドルくらいであれば、いくら緊縮財政とはいえ、見過ごしてもよかった気もする。しかし、そうなると、僕はなぜ、あんなにもやっきになって細かい家計簿をつけていたのか、僕の2年間は一体なんだったのだろうか、と思えなくもない。寂しいことだ。
気を取り直してみると、そんな家計簿は我が家の出費の抑止力になる。妻はもともと贅沢をしないタイプだ。どちらかというと僕の方が浪費癖があるタイプだ。結婚する前は、飲み屋に月10万円以上使っていた。つまり、僕への抑止力だった。
こうして二年間、家計簿をつけることによって、僕の浪費の欲望が抑えられた。帰国したあとに少し浪費の欲望が爆発してしまって、妻にたしなめられたのは言うまでもない。
帰国後にも家計簿をつけることにした。帰国後の数ヶ月は浪費がしたいということで、家計簿をつけることはしなかった。家計簿をつけるようになると、また僕は欲望を押さえ込むことになる。少しはお金を使う喜びを味わいたかった。
家計簿。それは欲望をコントロールすることだ。
帰国後はとにかく出費が多い。家計簿をつけていると頭がおかしくなりそうだった。そして、一年もしないうちに、また引越になる。引越し後も出費がかさむ。家計簿のことを考えると僕はもう限界だった。
「家計簿は落ち着いてからにしよう」
妻からの提案にほっとした。家電やら家具やら生活雑貨やらなにやらなにやらが山ほどあって、家計簿は気が滅入るだけだった。
名古屋に引越してきて、生活もおちついてきた。そろそろ家計簿をつけよう。
さまざまな明細書からレシート、購入履歴などを記入していく。子供たちも三人いるし、生活の幅も広がってきたということもあって、家計簿はたいへんなことになった。文房具屋で買ってきた家計簿では蘭が足りなくなり、これはこれで僕のストレスになってきた。
「だいたいでいいんだよ、いまは緊縮財政じゃないからさ」
帰国後、僕の収入はコロナの影響をモロに被ってしまって予定していた収入はなくなっていった。しかし、妻の収入が増えたこともあって、うちは比較的余裕のある経済状態となった。
「だいたいでやれない」
「そうだろうねえ、じゃあ、家計簿は私がやるよ、だいたいでならできる」
妻は大雑把にやるのがうまい。僕は家計簿から解放されてちょくちょく浪費するようになったけれども、妻から、だいたいの感じで、手綱を握ってもらっている。
家計簿にもタイプがある。また、家計簿が必要な人というのもある。浪費癖に困っている人は会計簿をつければいくらかは欲望がコントロールできるようになると思うし、息苦しくなったら、大雑把につけてみるか、手綱を握ってもらうというものいいかもしれない。
家計の方向性を決めれば、家計簿の方向性も決まるのだろう。