いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

ディスポーザーに困る!(ボストン編)<ディスポーザー陰謀論>

生ごみは排水溝へ」(長女2歳)

 

困ったことがあった。

 

アメリカでは、排水溝にディスポーザーがついていることが多い。

 

ディズポーザーって何だろうと思う人もいるかもしれない。僕はたまたま知っていた。日本にいるときに働いていた職場のトイレが詰まりやすいということがあった。職場の人たちでどうしようとか話していると、ディスポーザーをつければいいという提案があった。

 

ディスポーザーは排水溝のところにつけて、固形物を砕く代物だ。トイレの場合はそのアレとかアレとかを砕いて流しやすくして、詰まらないようにすることができる。とても優れたマシンだ。また粉砕するときのモーターや独特の破砕音のようなものが心地よくて僕は大好きだった。

 

そのとき使っていたディスポーザーには弱点があって、熱湯などは流してはならないということだった。トイレにつけていたということもあって、熱湯を気にすることもなかった。しかし、心配性な職場の人はトイレに張り紙をして、熱湯を流さないように注意喚起していた。

 

「トイレに熱湯を流すってどんな状況ですか?」

 

カップ麺とかの残りを捨てる人がいるかもしれない」

 

「トイレでカップ麺食べます?」

 

そんな会話もあった。よく考えてみたら、トイレでご飯を食べる人もいるみたいだから、トイレに熱湯を流そうとする人もいるかもしれない。知り合いの職場に訪れたとき、ビルのフロアにあるトイレのゴミ箱にカップ麺の容器が捨ててあったのを見たこともあった。

 

僕がディスポーザーを知っていたのは、こういうわけだった。ディスポーザーのことを僕はう○こクラッシャーと呼んで親しみを覚えていた。

 

アメリカのディスポーザーは台所にある。シンクの排水溝にディスポーザーがついていて、うちの場合は、スイッチが水道の蛇口の近くにあった。スイッチを押せばディスポーザーが回る。はじめてキッチンを使ったときに、これはなんのスイッチだろうと思って押したら、懐かしいディスポーザーの音が聞こえたので、昔の職場のトイレを思い出した。

 

ディスポーザーがついてる!」

 

「なにそれ?」

 

妻はディスポーザーのことも、その使い方も知らなかったようなので、使い方とついでに昔の職場のトイレのことも説明した。

 

「熱湯を流すと壊れるかもしれないから、気をつけてね」

 

と言ってみたはいいけれども、キッチンシンクについているとどうしても熱湯を流すことになる。パスタやうどん、素麺は妻の好物だ。湯切りの際は熱湯を流す。どうしても熱湯を流すことになる。

 

「熱湯を流したときにはディスポーザーのスイッチを入れないようにしよう」

 

スイッチを入れなければディスポーザーに被害が出ないかどうかは分からない。それに、ディスポーザーは固形物を砕くときにスイッチを入れるわけだから、湯切りのときにはスイッチを押す必要もない。

 

アメリカは日本で生活するより不衛生になりやすい。一つにはゴミの問題がある。燃えるゴミも燃えないゴミも一緒くたにアパートメントの下においてある大きなコンテナみたいなところに放り投げている。他の建物は道路に面したところにゴミ箱を出している。生ごみだろうが何だろうが一緒に捨てられている。

 

最初はディスポーザーのない部屋を借りていたということもあり、生ごみの処分に困っていた。日本のように燃えるゴミの日が週に2回あるわけでもない。何でもゴミの日が週に一回ある。生ごみだと臭くなる可能性もある。思い出してみると、最初に住んだところにも蛇口付近にスイッチがあった。押してみても何も反応がなかったから忘れていた。きっとディスポーザーが故障していたんだと思う。

 

次に住んだところのディスポーザーは快適で、生ごみを毎回、砕いてくれた。そのお陰でゴミ箱から嫌な臭いもすることもなかった。野菜クズがメインだったけれども、魚の頭や骨くらいは快調に砕いていた。肉の骨は流石に怖いのでゴミ箱だったけれども、Tボーンステーキなんてそんなにしょっちゅう食べるものでもないから、だいたいは野菜クズと、そもそも砕かれている離乳食の残り物とかをディスポーザーに砕いてもらっていた。

 

離乳食の残りは意外と侮れない。そのままゴミ箱に捨てていけば臭くなるし、排水口に流すわけにもいかない。食べてしまえばいいというのもあるけど、糖尿病の僕にとってお粥などは白い毒に等しい。そんな中、ディスポーザーがとても役に立っていた。

 

あるとき、ディスポーザーが動かなくなった。故障だ。ディスポーザーが故障すると、排水が逆流してくるようになった。なかなか困った事態だ。

 

管理人さんを呼んだ。いつもはなかなか来てくれないのに、ディスポーザーの件はすぐに来てくれた。そして、ずっとディスポーザーの文句を言いながら直していた。彼がディスポーザーの修理が好きなのはいつもの対応よりも楽しんでいることからも、なんとなく分かった。

 

「このディスポーザーのメーカーは、壊れやすいように設計しているんだ。いつも同じ部品が壊れる。その部品を売って商売しているんだ。俺はディスポーザーは使わないんだ」

 

と嬉しそうに話していた。また壊れたら呼んでくれということだった。部品も取り寄せなくても用意してあるそうだ。

 

彼の楽しそうな姿と、嬉しそうに語るディスポーザーメーカーへの批判は印象的だった。

 

ディスポーザーが壊れるのは、熱湯に弱いディスポーザーが熱湯を使用するキッチンシンクについているからなんだと思うけれども、ディスポーザーのお陰で生ごみの臭いから解放されていることを考えれば、ディスポーザーはやっぱり必要なわけで、そして、彼の手慣れた修理とディスポーザーメーカー批判と嬉しそうな彼の姿もワンセットでついてくると思えば、ディスポーザーは幾重にも役に立っているとも思った。