いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

自閉症育児に困る!(自閉症児篇)<ボストンの自閉症育児環境>

「アーリーインターベーション(早期介入)という考え」(長女1歳2ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

長女の話はとてもしにくい。話しにくい話ならしなければいいだろうし、黙っていればそれで済むのならそれで済ませればいいのかもしれない。

 

何度も何度もそう思った。

 

ブログをはじめようと思ったのは、妻からの一言がきっかけではあるけれど、家事や育児をしながら思ったことを、妻に言うと何かに書いておけばと言われることもあって、日記がわりにブログでもやって、夫婦、あるいは後には家族だけで読み返してみようというものだった。

 

しかし、ブログをいざ書いてみると、僕はすぐに長女のことを書かないといけないんじゃないかと思うようになった。同じように困っている人もいるだろうし、何より僕の育児の悩みの大半は長女だった。自閉症育児が住みやすい環境を獲得するために戦う日々でもある。

 

今回の話はあまり面白くないかもしれない。ブログはいつもおもしろおかしい感じで困っているのか困っていないのかよく分からないことを書いて、楽しんでもらえたらと思っているけれど、ブログも100日も続いたということもあって、「自閉症児篇」というのをはじめたいと思います。暗いトーンになってしまうこともあると思いますが、これまで通りお付き合いいただければ幸いです。

 

長女は自閉症で軽度の知的障害がある。アメリカでも自閉症と診断されていたし、日本でも3歳のときに正式に診断された。日本の場合はアメリカと違って、3歳にならないと自閉症という診断はされないらしい。アメリカではそんなことはない。アメリカでは自閉症児に対して早期介入することが大切であるという考えから、1歳過ぎで自閉症の傾向があると判断された場合は、自閉症児としての発達を助ける仕組みがある。

 

こんなことを書くのは、日本で自閉症や知的障害の話をすると、「3歳にならないと」とか「みんなそう」とか、当事者含めて、早い段階での自閉症児への介入に対して否定的な見解を示す人が多いからだ。

 

長女の場合は、言葉が苦手だ。思っていることが話せないのはもちろん、オウム返しもしなかった。また指差しなどもできず、言語による認識力に問題があった。いわゆるクレーン行動で何かを伝えようとしていた。しかし、早期介入のおかげなのかは分からないけれども、絵はとても上手で、色彩も豊かで、細かい物も描くことができると1歳の終わりくらいから言われていた。

 

アメリカでのことを書いてしまうと、日本で自閉症児を育てている人を追い詰めてしまうかもしれないとか思った。僕が自閉症児の育児について書くことが難しいと思ってしまうことでもある。

 

日本の環境では、発達の遅れに親が気づいても、軽度の知的障害や自閉症の種類によって、検診の担当や保育士からも「様子を見てみましょう」と言われることがある。3歳になってから診断する、というのが根強くある。それまでは「親が心配しすぎ」という扱いをうける。そのため早期介入が遅れてしまい、3歳になって自閉症や知的障害の診断が下されてから自閉症児の育児を考える。また、これは仕方ないことだけど、親にしても周囲にしても、子供を障害者として認めたくないという気持ちもある。それは日本の社会が障害者に対して無理解で冷たいことを知っているからなんだろう。

 

長女はとにかく泣いていた。何かあると泣き出して止まらない。抱っこをしても何をしても泣き出して、自分でも止めることができずに、泣き疲れて寝るということが1日に何度もあった。家の中でも母親が手の届かない範囲に行っただけで大泣きがはじまる。妻が熱いお茶を飲むだけでも僕が抱えなければならなかった。

 

初めての場所に行くと突然、手が付けられないほど泣き出して暴れることもあった。幼児健診の帰りにどうにも手がつけられなくなって、道の途中で妻の心も折れてしまって、僕が迎えに行ったこともある。

 

それだけ泣いて大暴れしても、「子供はみんなそう」という人が日本ではいる。アメリカの場合は、まず相談や面接をして、母親の話もよく聞く。母親のメンタルを重視する。いま考えれば、アーリーインターベーションは自閉症児への介入というだけでなく、自閉症育児への早期介入でもあったのかもしれない。僕のメンタルもやられていたけれども、アメリカといえども父親は二の次になる。まあ、それはまだいい。

 

早期介入は、毎回3人の専門家が毎週訪ねてきてくれた。これがありがたかった。外出がとてつもなく困難な自閉症児のことを理解しているため、訪問してくれる。日本だと「困っているなら、ここに来てください」ということになる。行けないから困っているということが分かっているなら意地悪だし、分かってないのなら勉強不足だろう。

 

3人の専門家のそれぞれの指針に従って発達の補助をしている。長女の得意とする分野を発見し、伸ばしてくれる。言葉、運動、絵、音楽など親では試せないことまで丁寧に長女の様子を見ながら成長を促す。

 

自閉症児によくあることだが、長女は耳が聞こえていないかもしれないということも言われた。そのために、言語認識専門の担当者の1人が病院にまで付き添ってくれて、聴覚の検査も受けた。医師と担当者が話し合い、僕たちには分からない専門的なことを話している。そしてじっくりと長女を観察している担当者の意見もあり、聴覚には問題がないと診断された。その後、早期介入を受けていると、音に反応するようになった。

 

ほぼ1年近く、長女はアーリーインターベーションを受けていた。2歳過ぎてもほとんど言葉を発することはなかったが、以前に比べれば、大泣きも減り、身振りや反応でいろいろと示してくれるようにもなった。

 

2歳を過ぎた頃、ボストンにあるチルドレンホスピタルで、詳しい検査を受けることになった。予約して半年待ちだった気がする。そこで自閉症と診断された。

 

アーリーインターベーションは自閉症と診断される前に受けることができるシステムだ。自閉症の診断には混み合っているからなのか分からないが、予約してから検査を受けるまでに時間がかかる。しかし、子供は日々、成長する。自閉症児とその家族は、非定型発達の中でストレスも抱え、辛い思いをする。発達が通常と違う場合、子供だけでなく親のこともほったらかしにしてはならないとアメリカでは考えている。

 

子供も僕ら夫婦もアーリーインターベーションによってどれだけ救われたかしれない。ボストンに来ていろいろと困ったことがあったけれども、自閉症育児の困難さは軽減されていた。育児に前向きになれたのは、彼女たちのお陰でもあるだろう。3人とも太陽のような笑顔の持ち主だった。

 

そういえば、言葉が少なかった長女が「ジシ!」ということがあった。僕らは何のことを言っているのか分からなかったが、担当者が「This」と言っていると喜んでいた。それからは、長女は少しづつだけれども、英単語を言うようになった。

 

長くなっていまいましたが、これからも定期的に自閉症児育児について書いていきたいと思います。