「双子の出産立会には通訳サービスを申し込んでいた」(長女2歳1ヶ月、双子予定日)
困ったことがあった。
アメリカの病院では通訳のサービスを行なっているところがある。僕が利用した二つの病院の二つでは前もってお願いしておけば通訳サービスが利用できた。いや、できることになっていた。
通訳サービスといっても、その場に通訳さんがいるのではなく、電話回線などを通して、病院が契約している通訳さんに繋いでもらうものだ。
糖尿病の診察で、はじめて通訳サービスを利用したときは、とても感じがいい人で、病院で使われる専門用語もスラスラ淀みなく通訳してくれた。僕のジョークにも笑ってくれた。病院と契約する専門の通訳さんはすごいなあと思った。
次のときにも通訳サービスをお願いした。今度は、とても感じが悪いというか、切羽詰まった感じ。伝える言葉は短くして欲しいとか、はっきり話してくれとか、事前に注文が多い人だった。言い方もきついので、自然とこちらもぶっきらぼうになる。また医学用語もあまり分からないらしく、前回の診察でなんとなく英語での医学用語を分かってきた僕がフォローすることになった。このときの通訳さんはあまり慣れていなかったのだろう。慣れていないなら慣れていないと言ってくれればいいんだけれども、慣れていない人ほど妙なプロ意識に縛られて仕事モード全開にするから、周囲の感じも悪くなって、パフォーマンスも下がるというのはよくあることだ。
「今日の通訳はダメだったのか?」
と、担当の医者から言われた。この人は決して笑わない人だ。顔は作家のカズオ・イシグロに似ている。ネクタイは中國銀行のロゴが全体的に入っていた。それをクールだと思えばいいのか、よく分からなかったけれども、印象的ではあった。
「ダメだった」
感じが悪い雰囲気だったから、僕もぶっきらぼうに答えてしまった。すると医師が何やら書き込んでいた。これは報告されてしまうのかもしれない。なんだか申し訳ないことをした気になった。彼女はきっと少し不慣れでテンパってしまっただけなんだと思っていたから、でもそれを伝える英語が出てこない。
次からは、通訳サービスを希望してもカズオ似の医師は機械すら持ってこなくなった。彼の言い分としては、僕に英語は伝わっているし、僕の英語で十分だということだった。
アメリカにいると、こういうこちら側の希望があっても叶えられないことがある。通訳サービスは機械も用意しないといけないし、面倒臭そうだ。受診の時間も伸びるから、使いたくないんだろう。
糖尿病に関しては順調に血糖値も下がり、笑わない医師が笑顔になるくらい体重も減って、数値は健康そのものになった。もう、薬もやめていいし、病院に来なくていいと言われた。血糖値が上がることがあればまた診察するということだった。血糖値はその後もずっと安定している。
しかし、このときの経験から、翻訳機のようなものが必要に思うようになった。スマートフォンの翻訳でもいいのだけれども、翻訳専門の機械があればもっと安心する。アメリカはwi-fiが使える場所が多いので、wi-fi対応のものにした。友人との会話で使ってみたら、そこそこ使えた。相手が操作を覚えなくてはならないのが少々ネックだった。
いつも英語の通訳をしてくれている妻が出産をする。その立会のときにいろいろと言われることがあるだろう。陣痛で苦しむ妻が通訳することは難しいことが想定されたので、産院でも通訳サービスを申し込んだ。
僕もアメリカに慣れてきた。通訳サービスがあるからと言って安心はできない。機械の故障や人的ミスはよくあるし、機械が修理されることはない。自前の翻訳機も用意しているから、翻訳機の使用を申し出た。
「通訳サービスがあるからあなたの翻訳機は使うことができません。他の翻訳サービスを使って何かあったときに責任がとれない」
ということだった。妻と覚悟を決めた。通訳サービスが使用できない状況も考えておいた。
出産のことはまた別に書くとして、問題の通訳サービスの結末を書く。
通訳サービスは使用できなかった。通訳サービスのための機械を陣痛室まで運んでくれたが、その配線が分からないということだった。何人かの人が来てやっと繋いだ。しかし、モデムのようなものを繋いでも外部の通訳サービスとはつながらなかった。妻の出産予定時間(双子なので帝王切開になった)は過ぎた。緊急の出産が入ってしまったから、数時間待機になった。
通訳サービスの機械は放置され、出産間際で陣痛に苦しむ妻が通訳をした。僕もできるだけ頑張って英語で話したけれども、難しい言葉は家で覚えてきても、使いこなすほど理解できるものじゃない。
「やっぱりアメリカだねえ」
「ほんとそうだね」
のんびりした待機時間。外で誰かからの差し入れのドーナツを食べる人たち。僕は放置された通訳の機械を見ていた。一人の人が入ってきて、子供の名前を聞いてきた。僕が名前を言ったら意味を聞いてきた。なんて言えばいいんだろうと思っていると、妻が説明した。入ってきた人はドーナツを持ったままナースステーションみたいなところに戻って行って説明していた。なぜか歓声が起こっていた。みんな嬉しそうに僕らを見ていた。
そのあとの出産はまた今度。