いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

データに困る!(東京篇)<長く続けた仕事は資料だけがたまる。お金は貯まらない>

「古いデータの扱い方」(妻、妊娠中)

 

困ったことがあった。

 

僕も妻も家で仕事をすることが多い。妻は職場があって、そこには専用のデスクもある。僕には事務所も職場もない。家が仕事場だ。

 

妻と結婚する前は、仕事をメインとした部屋にして、本棚と資料を置く棚を置いて、やりたい放題に仕事ができた。なかなか資料を捨てることができない僕は、どんどん資料を貯めてしまって、15年くらい前の議事録や企画書すら持っていた。

 

パソコンにデータがある、とか今ならそう思うし、そのときだってパソコンにデータがあるから紙の資料などは、かさばるだけだから、捨ててしまおうかと何度思ったかしれない。

 

パソコンにあまり詳しくない僕は、ときどきパソコンでミスをする。データが消えてしまう、消してしまうなんてことは、何度もやったし、パソコン内のデータが全て消えてしまったということは二、三回ほど経験している。

 

パソコンの寿命なのかハードディスクの寿命なのか、よくわらかないけれども、20代のときに使っていたパソコンは、電源を入れるだけでもドキドキだった。

 

「今日は動いてくれるかな?」

 

そんな一か八かの起動をするのなら、修理に出すか新しいパソコンを買えばいいのにとも思うけれども、そのときの僕は昭和的な修理方法しか知らなかったので、パソコンの本体を軽く叩いていた。

 

予想できたことだけども、あるとき全く動かなくなった。

 

データを救い出すために専門家にお願いすると、当時は高額な料金がかかった。でも僕は慌てなかった。そのときの資料はほとんど紙でも持っていたからだ。

 

その後もパソコンとフロッピーディスクフラッシュメモリーや外付けハードディスクなどいろいろとデータを入れるところはあったが、紙が僕のデータのメイン。

 

先日、20代前半の頃の仕事のデータが出てきた。3.5インチのフロッピーディスクから、MOディスクにしたものだ。このMOのデータはどうやって取り出したらいいのか僕には分からないし、もう20年以上前のデータだから取り出す必要も感じていない。

 

古いデータはいらないんだろう。

 

紙のデータは意外と仕事の役に立つこともある。あのときのあれはなんだっけと自分で確認するだけじゃなく、仕事で聞かれるときもあった。僕に聞けば古いデータが出てくる、そんなふうに思われていたのかもしれない。そんなことから紙のデータも捨てられなくなっていた。

 

そういう古いデータを持っていて、聞かれることがあっても、それが僕の仕事上の功績になることはほとんどなかった。ただ、便利に使われて、感謝の一言か、感謝すらされないこともあった。

 

妻と結婚して、狭くなる仕事スペースを考えると膨大な紙のデータは捨てなければならなかった。パソコンやネット、クラウドとは違って、紙のデータを持つということは、労力が必要になるし、スペースも占有することから、考えてみれば、その資料のために毎月いくらか払っているようなものだ。しかし、何かを聞いてくる人はそんなことは思っていないだろう。ググる感じで僕に聞いてくる。

 

大量に資料を捨てた。

 

これですっきりしたと思った。

 

パソコンに不具合が生じてきて、新しいパソコンを買った。新しいパソコンは古いパソコンと同期せずに、新しいデータだけを入れていくつもりだった。

 

半年ほど仕事で使って、軽快になったパソコン環境に浮かれていた。古いパソコンのデータはハードディスクにでも入れて、まっさらにして売ろうと思っていた。

 

僕はこういうときにミスをする。

 

なぜか知らないけれども、新しいパソコンに古いパソコンが同期されてしまったか何かしてしまったらしく、新しいパソコンのデータが失われてしまった。

 

古いデータが生き残った。古いデータに復讐されたのかもしれない。データの怨念は思った以上に強い、となんだかよく分からない信仰に目覚めそうになった。