いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

おまかせパックに困る!(再東京篇)<でまかせパックになるところだった>

今週のお題「引っ越し」

「日本でも荷物紛失?」(長女2歳5ヶ月、双子4ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

3年前から予定されていたことだったとはいえ、帰国して一年でまた引越というのはしんどかった。

 

しかし、今度の引越は妻の職場から引越費用の補助がある。予想を上回る補助金の額に僕らは浮かれて、これなら、憧れのおまかせパックがやれる! と喜んでいた。

 

ボストンにいた頃、企業から派遣されてきている人と仲良くなって、引越の話などをしていた。僕たちはお金がなかったのでできるだけ安く済まそうと、ヤマトさんがやっている船便と航空便をミックスした引越をお願いすることになった。アメリカに1年以上滞在しているということが条件だったかもしれない。おまかせパックではなく、自分で梱包するタイプ。腰にサポーターをつけながら、乳幼児3人の隙を見つけて引越作業をしていた。

 

「引越準備で大変ですよ」と友人に話した。友人は企業勤めということで引越費用も全額会社持ちだ。となれば、おまかせパック。人間はおかしなもので、苦労している顔をしないといけないと思ってしまうことがある。病人同士の会話だとどちらの病気の方が大変かと競い合うような例の歪な関係。

 

「おまかせパックといっても、立ち会わないといけないんですよ」

 

なぜか少し怒っていた友人の顔を思い出す。

 

さて、そんなおまかせパックだけれども、僕はもう楽しみでしかたなかった。立ち会うことに怒る人もいるらしいけど、立ち会わないと不安だし、立ち会うのって当たり前だと思う。

 

3月の引越シーズン。早めに予約をしなければ、と11月には3社に見積もりの連絡をした。引越の値段はあってないようなものと言われるように、シーズンであっても見積もりから3割以上は値引きできる。もっと値引きしたなんて話も聞くけど、それはそれでどうなんだろうと思うこともある。値引きの基本は相見積もりをとって、ライバル会社の名前を出せばいい。

 

しかし、値引き交渉というのはそんなにスムーズにもいかない。3月は引越屋さんにとっても大事な月だ。相見積もりを取ろうにも、11月だと年明けの1月にならないと見積もりもだせないとか言われる始末。3社に見積もりのお願いをしても、結局、最初に来た1社目で決めてしまった。

 

東京から名古屋、引越荷物の厄介物としての本は10000冊以上ある。最初は70万円くらいの見積もりも、なんだかんだと55万円くらいまでになった。もう1社の見積もりを待てばまだ値段は下がったと思うけれども、妻の職場からも補助金が出るということもあって、無理な値引きを強いることで引越の質が下がってしまったら、それはそれで困る。大量の本を見せて、引越し当日に僕らも名古屋に行く予定であることを話した。当日の夕方5時までには作業を終えて欲しいと伝えた。

 

引越当日。おまかせパックとはいえ貴重品や稀覯本の類、そして触られたくない衣類や靴はすでに梱包しておいた。度重なる引越しで梱包には慣れている。引越し屋さんも僕の梱包は褒めてくれる。

 

幼児3人はいるだけで邪魔になってしまうので、妻に多胎児コミュニティに参加してもらった。そして僕は引越しを手伝う。おまかせパックではあるんだけど。

 

営業担当の作業見積もりは甘かった。本が減らない。次々と応援が来る。終了時間を聞いてみるが、どんどんずれ込んだ。作業終了予定の時刻が過ぎて、妻も帰ってくる。妻と子供たちは弟の家で待機することになった。僕は新幹線の時刻を調べながらヤキモキしていた。

 

地元に弟がいるのは助かった。

 

新幹線の終電が迫る中、作業は終わらなかった。自分で最終確認をしたかったけれども、それはできない。弟に最終確認を委ねて、お金を払った。そして急いで最寄駅まで行って、最終一本前の新幹線に乗って名古屋に向かった。

 

新幹線に乗ると、弟から電話があり、引越が終わったということだった。ただ、部屋の中が暗くて、最終確認といってもよく分からなかったそうだ。そりゃそうだ。そもそも何があるのか弟には分からない。

 

日付が変わる頃、予約していたホテルに泊まった。翌日には引越屋が来ることになっている。妻も僕もヘトヘトだった。こういうときに飲むビールは美味しい。乳幼児3人を抱えての長距離移動ってだけでも大変なのに、引越が長引いてしまったので休む間もない慌ただしさ。救いは双子がおとなしかったので、長女の世話だけで済んだことだった。

 

移転先初日の引越搬入。妻はホテルで乳幼児3人とお留守番だ。どっちが大変かといえば、乳幼児3人の世話をホテルでする方が大変だから、引越が大変だったなんて言えなかった。引越作業は17時を超えた。やはり本の量が多過ぎて、助っ人が何人も来た。彼らの口癖は「まだある」だった。エアコンが一つ付けられなかった。新居の管理人には、引越前に電話で図面を見ながら確認をしたときには付けられるという話だったけど、話している相手が要領を得ない人でもあったので、もしかしたら一つは付けられない可能性があると想定していた。やっぱりと思いながら、付けられないエアコンと室外機の行き先も指定した。

 

いくつか見当たらないものがあった。物干し竿とウォシュレットのリモコン、電灯のリモコンも一つない、他にも洗面台下の収納など細々したものもなかった。作業のリーダーに言うと、引越のトラックを確認しても何もなかったので、開梱後にもう一度確認して欲しいということだった。おまかせパックだから、そうなる。

 

バルサンなどを炊いてホテルに戻った。妻は疲弊しきっていた。

 

翌日は開梱作業。テキパキしたプロフェッショナルな人たちに、荷物の大まかな置き場所などをお願いした。本棚に本も入れてくれる。営業の人は本棚の本も元の位置に並べる、と言っていたけれども、それはきっと本棚一つか二つの場合なんだろう。二段スライドや一段スライドの本棚やスライドしていない本棚も奥と手前にぎっしりの本を並べるのは持ち主ですら数日かかる。岩波文庫だけでもジュンク堂岩波文庫が僕のライバルという品揃え。開梱作業の1人は最初から最後まで本棚に本を入れていた。

 

25個ほど妻の本の段ボールもあった。これはそのまま妻の職場に行くと言ったらホッとしていた。

 

引越と本はいつでも悩むことだから、それはこの辺にして、問題はウォシュレットのリモコンや台所用品や物干し竿だった。開梱作業をしても見つからない。作業が終わり、妻と乳幼児3人も新居に来た。そして寝た。その後も隙を見つけながら引越しの片付けなどをした。

 

長くなってしまったけど、顛末まで書こう。

 

結局、引越の日になかったものは見つからなかった。引越屋さんに問い合わせると、作業担当からは「はじめからなかった」と言っているということだった。ウォシュレットのリモコンが最初からない? 物干し竿がない? 積み忘れという可能性を考えていない対応に、僕は怒ってしまった。前に住んでいたところの管理人さんとは仲が良かったということもあって、電話をすると、まだ引越後の状況は見ていないということだった。積み忘れの荷物があるか見てくれるということだったので、引越屋さんに再度電話したら、態度が変わった。

 

その日のうちに、東京の担当者が管理人さんと一緒に前の引越先に確認に行った。電話がかかってきた。物干し竿もウォシュレットのリモコンも、他にもいくつか積み忘れがあった。当時の状況から考えれば積み忘れは、仕方ないことだと思っていたし、予想通りだった。他にも見当たらないものがあるけど、夜間の作業だから落としてしまったりもしたのだろう。思い出の品というと大げさだけど、ボストンに住んでいたときに近所の金物屋で買った無骨なプラスドライバーがなくなったのは少し寂しいけど、これは諦めた。さすがにアメリカのネット通販もやっていないような金物屋のドライバーを現物で返してくれというのは、やばい要求だと思うし、この程度のものがなくなるのは仕方ない。

 

引越屋からは謝罪文や紛失してしまった物の補償などの話があった。また、これまでの失礼な対応についてどのようにお詫びすればいいかという話になった。僕の方の落ち度で取り付けられなかったエアコンの費用も返金すると提案してきた。そこでこちらから提案してみた。

 

電気工事や金具取り付け工事ができていなかったからエアコンが取り付けられない部屋があった。なので、返金はしなくてもいいから、電気工事や金具取り付け工事をしてエアコンもつけてくれたら、苦情どころか感謝をするとダメ元で話してみたら、OKだった。相手も嬉しそうで、僕ももちろん嬉しかった。

 

引越はトラブルも多い。引越の値段が高いのもトラブル時の補償などが入っているからだと思う。執拗な値引き交渉もしなかった分、相手にも折れる余地があったのかもしれない。結果としては、いい引越になった。おまかせパックはでまかせパックかよ! とCMの真似をして怒りながらも笑えたけど、相手のことも立てながら値段交渉して、トラブルも落とし所をきちんと示せば円満解決もする。

 

引越しはアートさんにまたお願いしたいと思った。