いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

フードロスに困る!(主夫篇)<無駄な買い物が招く事態を想像した>

「我が家のブーム」

 

困ったことがあった。

 

料理を担当するようになってから、食材の管理は僕の仕事になった。冷蔵庫や食品収納のスペースを把握することは、料理担当の重要な仕事でもある。

 

いつも消費する食材というのがある。家庭によってばらつきがあると思うけど、うちの場合は卵、牛乳やヨーグルト、ハムにチーズとトマトという朝の定番を欠かすことはできない。野菜もたまねぎ、にんじん、じゃがいもは多くの料理で使うことができる。豚肉や鶏肉、キャベツ、白菜、長ネギも常に買っている。

 

そういった定番の他にも、妻や子供のお気に入りというのがある。妻はキノコが好きなので、キノコはいつも十分なストックが求められるし、偏食気味な長女のためには冷凍食品の唐揚げ、一口カツ、そしてチョコチップ入りのパンなど、何も食べてくれないときのために用意しておく。

 

これらを毎週揃えるだけでも、それなりに手間はかかる。

 

それにプラスして、妻や子供にブームが訪れる食材がある。スーパーマーケットに買い出しにいったときに、季節の果物やパンや冷凍食品を買うことがある。それらが彼女たちの嗜好に突き刺さり、一日で食い荒らされてしまう。

 

僕はブームを作った喜びでその日はニコニコとしている。

 

近いうちにまた買いに行こう。今度はもう少し買ってみよう、となるのは夫心か親心か分からないけれども、おいしいと言って食べてくれる家族の笑顔を見て嫌な主夫はそういないだろう。

 

次は少し多めに買った。一過性のブームの場合は、ここで終わる。少し残して終わる。被害を少なくするために「少し」しか多めに買わないでおくのがポイントだ。残った食材は、僕が食べることになる。

 

糖尿病の僕としては食べるのを控えた方がいいような食材もあるけれども、フードロスが騒がれているからとかなんかより、食べられるものをゴミ箱に捨てるのはなんだかつらい。

 

あのつらさの正体は一体なんだろう。生産者に申し訳ないからなのか、それとも食糧難に喘ぐ人たちを想像するからつらいのか、そういうこともあるかもしれないし、せっかく買ったものを捨てているという単純なつらさもあるだろう。

 

買ったものを捨てるというのはお金を捨てているようなものだ。だけど、買った時点でそれはお金ではなくなり、消費されるか傷んでダメになるかする物になったわけで、お金を捨てていることにはならない。

 

となると、僕が感じる食品を捨てるつらさとはなんだろうか?

 

食品を捨てるということは、余分に買うということで、余分に買うということは、必要以上に買うということだ。こちらが必要以上に買ってしまったということは、小売店などには理解されていないため、必要で買っているのか必要以上に買っているのかの区別はなく、ただ売れている食品となり、それは必要な食品と思われてしまう。そうして必要な食品として生産者に要請される。生産者は必要な食品ということでより多くを作るようになる。次の出荷分は以前より多くなるし、多くなった分が売れたら、ますます生産することになる。

 

こう考えてみると、我が家の小さなブームが大変な事態を招いてしまう可能性がある。前回の好評に気をよくして、少し多めに買って、余らせて捨てる。我が家だけみればそれだけのことだ。捨てた食品も1パックか1袋か分からないが、被害は少ない。少し多く買ってブームが去った家庭の食卓ならこれで終わる。

 

しかし、生産者の場合はそうはいかない。さらに多くを作ってしまうことになるんじゃないか? 我が家ではブームが去ってもう買うことがないのに、それを知らない生産者はさらに作ってしまう。

 

こうなると、我が家で余らせた食材を一つ捨てるということは、さらに多く作られた食品を捨てることを意味してしまう。

 

これが僕のつらさだったのかもしれない。いつも大袈裟な僕のつらさだ。

 

ブームのタイムラグみたいなものがあるんだろう。どうやったら解決できるのか僕には難しくて分からない。ブームを反映する仕組みがあるなら、ブームが去ることを事前に察知する仕組みもあるのかもしれないし、僕が思っているような事態にはなっていないのかもしれない。

 

妻や子供の喜ぶ顔はみたいけれども、こうしよう。一過性のブームと思えるものに対して、限定供給をすることにした。

 

主夫レベルが一つ上がった気がする。考えてみれば、これって当たり前にやられていることなんだ。余計なものは極力買わない。スーパーマーケットで買い物カゴの中に子供が勝手に食品を入れるのを一つ一つ棚に戻す景色は毎回見ていた。子供が泣こうが喚こうが、棚に戻す。そうすることで、バタフライ効果で膨れ上がったフードロスを減らしている。

 

これは躾というよりも、経済を制御している姿なのだ。主夫として僕の目指すべき姿勢である。