いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

ブランコに困る!(ボストン篇)<あと10回よりあと2回?>

「雪の日も乗りたい」(長女1歳5ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

長女を連れて外に行くのが日課になっていた。同じ公園に行く方が楽だったし、何かあったときの対応もしやすいということもあり、いつも行く公園は決まっていたけれども、買い物も関係で変更することもあった。買う目的のものが特殊な場合は、いつもと違う公園を使う。

 

そんなこんなで、四つくらいの公園を使うようになっていた。どの公園にも共通しているのはブランコがあるということだった。

 

長女は、ブランコが好きだった。ずっと乗っている。しかし、ブランコは公園の花形でもあるので、順番待ちになることもあれば、長女のブランコが終わるのを待っている子供がいる場合もある。

 

アメリカというか、ボストンではだいたい四つくらいのブランコがあって、そのうちの二つが幼児用のブランコになっている。そのため、幼児用のブランコは比較的空いていることも多いが、一度誰かが使うとなると、なかなか空かないことも多い。幼児は自分で乗り降りすることもできないし、限度がないことも多いため、親が周囲に気遣いできるかどうかにすべてがかかっている。

 

長女が幼児用ブランコにのるときは、順番待ちができていないかキョロキョロしながらやっていた。誰かがくると、あと1分とかあと10回とか声に出した。英語で。

 

なぜ英語で言わなければならないか。僕だって、自分の子供に英語で話すのは少し恥ずかしい、ワンモアミニッツとか言っている自分が少し嫌だけれども、この「後1分」ってのは、子供に言っているようでいて、実は、順番待ちしている親御さんに向かって言っている。

 

相手が、「後1分」と言えば、待っている方は、気を遣ってもらえている、と思って、会釈なりなんなりの関係が生まれる。そして、ブランコを終えて別の場所に行くというのがスマートなやり方だ。

 

しかし、長女はブランコを終えた後もすぐにまたブランコに乗りたがる。降りるときにも猛烈に泣くときがある。そんなときでも「後1分」の挨拶をしたかどうかで、相手が譲ってくれる場合もある。長女にしても泣き叫んでいる幼児を見て、ブランコを諦めることもあるし、僕にしても、「気にしないで」みたいにしてブランコから長女を抱いて移動する。

 

これがブランコ利用者の美しい関係だ。

 

たまに、ずっとブランコを使っている人がいる。順番待ちをしている存在に気がつかない人。戦場だったら真っ先にあの世行きだと古参兵みたいな気持ちになってそういう人を見ているのは秘密だ。あるいは気がつかないふりをしているかもしれないけれども。こういう人がたまに羨ましい。

 

そんなときには公園を移動しなければならない。ブランコのために移動する。次の公園でもそういう人に出会ったらどうするのだろう、とか思いながら移動する。次の公園ではブランコが空いていることが多かった。

 

「あと1分」「あと10回」で思い出したことがある。僕が尊敬する日本人のお母さんがいた。その人は、子供に対して、「あと2秒」「あと2回」という数字を使う。最小の偶数だし、二番目の素数であることは驚くべきことだ。周囲に日本人がいなくても日本語で言っている。つまりは子供に向けてだけの言葉だ。

 

これはすごいテクニックだと思った。彼女は英語でコミュニケーションをとりたくないらしい。英語はとてもできる人なのに英語で喋りたくない。しかし、礼儀としての「あと何回」は示さねばならない。そのときに、指2本で周囲に告知する。子供を公園に連れているときには荷物で両手が塞がるときもある、そのときでも指2本であれば動かせる。

 

これが「あと2秒」「あと2回」の凄さだった。僕も真似をして長女にやってみたけれども、「あと2秒」というと、2秒を待たずにすぐやめるようになった。

 

長女のブランコ好きは冬になっても終わらなかった。寒い中、ブランコに乗る。雪が積もる公園でひとりブランコに乗っている。待っている人は誰もいない。「あと何分」とか「あと何回」って言いたいくらい、こっちは寒くて帰りたくなっているが、誰も来てくれない。

 

「あと20分」日本語で、自分に言っていた。