いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

旧跡に困る!(東京篇)<乳児の世話をしながら過ぎて行く時間と拾得物保管期間>

「五万円の落とし物」(長女1ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

土日になると家の前が騒がしかった。朝の7時くらいから騒がしい。晴れた日は毎週のように数人のおじさんおばさんたちが話している声が聞こえた。

 

僕たちが住んでいた地域は史跡、旧跡が多く、うちの前にも旧跡の案内板みたいなものがあった。近所を歩いていると、文人の旧跡を訪れる人に道を聞かれたり、ガイドさんでもないのに説明を求められることもあって、僕も誰々さんのうちはそこですよ、とか知り合いのように言っていた。

 

子供が生まれる前は、そんな土日の朝の騒がしさに苛立つこともあまりなく、眠りの深い僕は起きることもなかった。妻はたまに起きてしまうようで面倒臭いくらいには思っていたようだ。

 

子供が生まれると、僕も眠りが浅くなった。

 

深夜から明け方まで抱っこし続けて、疲れ果ててやっと眠れたと思うと外の騒がしさで起きてしまう。

 

僕も史跡、旧跡を見かけると立ち止まって説明文を読んで、へーとかほーとか言うタイプだ。散歩の楽しみでもあるし、そんな看板が好きだ。先日も句碑を見かけて立ち止まって読んでいた。

 

へーほーのおじさんおばさんの気持ちは分かる。

 

だけど、それでも、夜泣きにふらふらになっていると、勘弁して欲しいと思ってしまう。観光地に住んで育児をしている人たちはいつもそんな思いをしているんだろう。

 

外から聞こえる音は不思議だ。はじめての育児ということもあり、苛立つことも多かったし、虚無感に襲われることもあった。

 

妻が外出して、赤ちゃんと二人きりでいる夕方。明け方まで抱っこして、朝は外の騒がしさで眠れず、昼前にはまた起きて泣いている我が子を世話し、午後には疲れてぼんやりとしているときに、子供たちの下校を知らせる音楽が聞こえてきた。

 

哀愁を誘うメロディーに虚無感は増幅されていく。こういうときには切り替えること大事だ。いまは泣いているこの子が大きくなれば、あのメロディーに促されて、お腹を空かせて帰ろう、カラスも鳴くから帰りましょう、と思うだろう。

 

僕だって子供の頃にそのメロディーを聞いて、もうちょっともうちょっとと言いながら遊んで、夕暮れに飛ぶコウモリを見た。コウモリはどこで寝ているんだろう? と疑問を感じてコウモリの住処を探したこともある。テレビや漫画で見たように逆さにぶさ下がって寝ているコウモリが見たかった。ある日、体育館裏で死んでいるコウモリを見つけた。体育館の屋根に住んでいると漠然と思ったものだ。

 

妊娠中の妻が、五万円拾ってきたことがあった。封筒でもなく、裸のままの紙幣が5枚。僕の知り合いのお年寄りもそうだけれども、財布に紙幣を入れずに裸のままポケットに紙幣を入れる人たちがいる。きっと、へーほーおじさんかおばさんが落としていったのだろう。

 

お金は警察に届けていて、僕たちはそのお金のことはすっかり忘れていた。

 

警察から電話がかかってきた。落とし主が現れなかったから、五万円は妻に渡されるということだった。

 

へーほーおじさんおばさんに感謝しながら、オムツやミルク代、そして僕たちの少しの贅沢に使わせていただいた。旧跡の前でお金を落すのも粋なことかもしれない。