いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

疲れて困る!(再東京篇)<帰国したら立ち飲み屋に行くんだ>

「恋焦がれた立ち飲み屋」(長女2歳5ヶ月、双子4ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

アメリカではあまり飲みに行かなかった。たまに友人たちと飲みに行ったこともあったけれども、友人たちとテーブルを囲むような飲み屋だったり、バーのようなところだったりして、それはそれでいいけれども、満たされない感じもあった。

 

僕は飲み屋が好きと言うより、ごちゃごちゃした居酒屋や活気に溢れた立ち飲み屋が好きなのかもしれない。

 

日本にいるときから立ち飲み屋が好きだったけれど、アメリカにいると恋焦がれるような気持ちになっていた。人混みが苦手とか言いながら、立ち飲み屋の人混みは好き。肩が触れ合ったり、よろよろした人が背中に当たるのも楽しい。立ち飲み屋じゃないなら、多少煤で汚れているような座敷も行きたいとか思っていた。

 

立ち飲み屋に行きたいと何度も妻に話していた。

 

「帰国したらすぐに立ち飲み屋に行く。これだけは絶対だ!」

 

帰国したら上野に二泊することにした。乳幼児三人を連れた帰国の苦労も立ち飲みで報われるだろう。

 

ほとんど眠れないまま帰国し、上野のホテルにチェックインした。子供たちの寝床を準備し、ミルクやオムツなどを旅行カバンから出して、ご飯の用意もして、僕1人で夜の街に出た。酔ってもないのにふらふらだった。

 

帰国前に友人たちから帰国の日程などを聞かれていたので日にちと到着時間の目安を伝えておいた。2人ほど上野に駆けつけてくれることになっていた。だけど2人とも来なかった。1人は同じく子育て中で、奥さんが怒っているから飲みに行けなくなったということだった。もう1人は何の連絡もなかった。翌日連絡があり、仕事で疲れて寝ていた、ということだった。

 

疲れていた。本当はホテルで眠りたかった。でもそれ以上に、立ち飲みに行きたかった。立ち飲み屋に入り、ビールを頼むと涙が溢れてくるだろうと思っていた。昔読んだ漫画のように「はじめての海外がそうとう長かったと見える」みたいに言ってくる人がいたら抱きついてしまうだろう、とか思っていたら、涙も出なかったし、そんな人もいなかった。

 

恋焦がれていた立ち飲みなのに、ビール一本飲んだら座りたくなった。疲れすぎていた。足に疲れがきていた。行きつけだった店が3軒ばかり思い浮かんだ。どれも上野から一駅から三駅くらいある。

 

電車に乗った。

 

疲れすぎていたから座らないようにした。帰国1日目で山手線を寝たままぐるぐる回って、起きたら池袋か大崎なんていやだ。

 

帰国前に連絡があったお店に行った。僕が20kgくらい痩せていたせいで、店に入ったときには気が付かれなかった。ビールを注文したらバレた。

 

「痩せすぎて、誰か分からなかったですよ」

 

これが帰国後にはじめて聞いた顔見知りの言葉だ。僕は太っているということで認識されていたらしい。せめて小粋なトークをする面白おじさんとして認識されていたかった。

 

飲み屋の店員さんが僕と仲の良かった常連さんに連絡してくれて、何人か集まってくれた。狭い店なのでぎゅーぎゅーになった。これがいい。これが飲み屋だ。自分の領域がどんどん侵犯されていく。こういった状況はアメリカの飲み屋にはない。人の領土は互いに尊重する。領域侵犯は争いになる。

 

僕にしても、結局、その飲み屋の売りにしている食べ物とか飲み物とかじゃなくて、狭いとか窮屈とかでその飲み屋を認識していたようだ。ときにネガティブに思われる印象こそ愛着が湧くものなのかもしれない。

 

僕は狭い飲み屋が好きだ。狭さを極めた立ち飲み屋が好きだ。でも疲れていたから、その日は長居せずに帰った。