「妻の一時帰国」(長女7ヶ月)
困ったことがあった。
ボストンに来て二ヶ月くらいして、妻が一時帰国することになった。仕事の都合だから仕方ない。仕事仲間たちは授乳中の母親を子連れ、または単身で一時帰国させるのは忍びないからオンラインで用事が済むようにできる環境を整えてくれていたみたいだけれども、偉い人がオンラインを頑として認めなかったそうだ。
「赤ちゃんは任せておけ!」
僕はそう言った。内心は不安でしかたなかったし、僕のミルクさばきは妻より上手だけれども、ミルクはすぐには準備できない。いざというときは、やはり母乳が早い。急いでミルクを作ってこぼしたことは何度もある。こぼしたミルクを拭くべきか、それとも先に赤子にやるべきかの判断は難しい。
長女は偉い人の要望で、断乳することになった。
完全母乳派とミルク派の議論には参戦したくないのでどちらが良いということではなく、ただ、父親として思うのは、ミルクにすることで、育児の分担が変わってくるということ。母乳だけは代わることができない。完全ミルクになることで、育児は僕のコントロール化に置くことができる。
赤子は、僕のコントロール化から簡単に逃れるけれども。
そんな僕の育児乗っ取り計画を知らずに、妻は一時帰国した。こうなったら、妻がいるときよりも楽しい赤ちゃん生活にしてやろうと頑張った。
七ヶ月の長女を公園やスーパーマーケットなどに連れまわした。笑顔になっているから楽しいに違いないと思っていたけれども、考えてみると、これが長女にとって楽しいのかどうなのかなんてよく分からない。よく泣く子ではあったのに、妻がいないとあまり泣かなくなった。もしかして、七ヶ月の乳児に気を遣われているんじゃないか?
長女はびっくりするくらい「育てやすい子」になっていた。三日間だけ。
いま思い出そうとしても、ワンオペで大変だった記憶がない。大変だったのは、寝室のドアの蝶番が外れて倒れてきたことくらいで、これはワンオペの大変さとは言わないだろう。ドアは重たいので一人で修理するのが大変だった。腰をやりそうになった。蝶番のネジ穴が緩んでいてスポッと抜けてきた。穴をパテか何かで埋めてねじ穴を埋めようと、家主から使っていいと言われていた工具などが入っている棚を調べた。もちろん英語で説明が書いてある。こういうときはいつも妻に「これなに?」って聞いていた。今回は、一つ一つじっくり読んで、分からない単語を調べる。何度か間違った材料を使ってしまったが、どうにかネジ穴も埋まり、ドアをつけることができた。
長女をバウンサーに乗せて、足で揺らしながら一緒にテレビを見ていた。ワンオペだと会話する相手もいないから、長女に話しかけていた。気を遣っているのか長女は笑顔だった。
お風呂にも入れた。長女は泣かなかった。
三日間のワンオペが終わった。準備万端で迎えたワンオペ三日間だったから、ミルクが切れることも、オムツがなくて慌てることもなく、ドアの修繕だけが大変だった。ワンオペで変化があったのは、妻がいない分、洗濯物も少なくて楽になったくらい。
楽だった。楽だったけれども、三日で限界を感じていた。楽なのにつらい。言葉を発することもせず、自分の右手をじっと見て、たまに泣いたり笑ったりする存在と三日過すのはこたえるものだ。ずっと気を張っているというのもある。24時間緊急事態に備えている状態だ。
長女もつらかったようだ。
妻が帰ってくると、いつも通りよく泣く子になった。きっと、妻がいると思いっきり甘えることができることを知っているのだろう。僕は赤ちゃんに気を遣われていただけだった。