いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

きれい好きに困る!(主夫篇)<トイレ掃除は趣味なのか、信仰なのか>

「トイレ掃除利権をめぐる争い」

 

困ったことがあった。

 

僕も妻も少しきれい好きと言われるタイプだと思う。チリ一つ、ホコリ一つ残さず掃除するとか、障子の桟に人差し指をつつーッとはわせて、「ほら、ここにもホコリが」なんてやるタイプではないけれど、毎日掃除機を部屋全体にかける。

 

掃除機をかければ、ホコリ以外にも髪の毛や体毛が多い。この数年は僕の髪の毛が多いような気がしている。僕の頭は薄くなっているんだろう。それはハゲるということだ。人の容姿をとやかくいうことが問題になってきている時代にも関わらず、おじさんのハゲに言及することは許されているような感じもある。

 

おじさんのハゲはジョークのように語られる。ハゲは知性とか富の象徴だと考える文化もあるけれど、だからって人の身体的特徴を悪く言うことが許されるわけではない! とハゲのことで熱く語るとニコリとされる。

 

ハゲになったことを想像した。冬場は寒そうだけど、掃除が楽になるかもと思った。週に一回くらい掃除機のゴミを捨てる。集塵する部分に髪が入り込んでいる。スッと取れれば気持ちいけれども、引っかかって途中で切れると分解不能な領域に挟まってしまうので気になってしまう。

 

見えないところなら、そんなにきれいにしなくてもいい、そう言われてしまえばそうなんだ。

 

妻と僕ではきれい好きの範囲が違う。見ている部分が違うし、気になるところも違う。それにきれいにしたときに思う気持ちも違っている。妻は典型的なきれい好きで、毎日きれいな状態で暮らしたいと思っている。だけど掃除機の中のゴミや、風呂場やシンク、洗面台、洗濯機の排水溝のゴミや汚れはあまり気にしない。見ようとしなければ見えない部分の汚れはなかったことになっている。

 

僕は見えない部分だろうが、汚れをきれいにするのが好きなタイプ。排水溝などを見たときに汚れていると楽しくなる。きれいな状態が好きというよりもきれいにするのが好き。

 

きれい好きのタイプが違えば、お互いの領域を侵犯することがない。毎日の全体の掃除機は僕がかけているけれども、これは習慣的なものでやらないと落ち着かないからやっている。僕がちょこちょこ残している部分は妻が掃除している。シンクの表面は妻、内部の排水溝は僕というように棲み分けができている。

 

お互いの領域を侵犯してしまう場所がある。それがトイレ。

 

僕はトイレ掃除をしない人をあまり信用しない。娘たちが大きくなって恋愛などで相談されたら、伴侶にする人のトイレを見ることをすすめるつもりだ。自分の家だけじゃなく、人の汚したトイレを掃除できる人こそ信頼に値するというトイレの神様を信仰する者らしい人間観を持っている。

 

トイレ掃除は、こまめに掃除派と、汚れが目立ってから掃除派の二つに分かれる。

 

僕は三週間から四週間あたりを目安としているが、妻は少し汚れがあると掃除してしまう。僕の掃除は徹底的で、タンク裏表から蓋、便座、便器、壁やドアまで掃除する。トイレ掃除グッズをこれまでのトイレ人生の中でどれだけ試したか分からない。とにかくピカピカにするし、舐めろと言われたら舐められるくらいにしたいけれども洗剤が残っていそうだから舐めることには抵抗がある。そもそもトイレを舐めろと言われる場面もない。

 

うちの排水溝は全て僕の領域なんだ。こういう水場の汚さが際立つところは僕に一任して欲しいと思うけれども、トイレは汚れたら汚れがすぐに目立ってしまう。そろそろトイレ掃除しようかと思ったら妻が表面を拭いてしまう。

 

僕の趣味はトイレ掃除だ。しかし、この趣味を持っていると、娘たちがトイレ掃除をしない人になってしまうかもしれない。ある時期が来たら、この趣味をやめなくてはならないのだろう。子供ができると趣味が減ると言われるけれど、こういうことかもしれない。