「近所迷惑」(長女1ヶ月)
困ったことがあった。
騒音によるご近所トラブルは、ご近所トラブルの殿堂入りとも言われるくらいよくあるトラブルの原因らしい。
僕も騒音に悩んでいた。でもそれは、隣の部屋とか上の部屋がうるさいのではなく、うちがうるさいからお隣さんや上の人に迷惑がかかっているんじゃないかと思って悩んでいた。
住宅街を歩いているとたまに赤子の泣き声などが聞こえることもあった。子供が生まれる前は、そんな泣き声も、焼き魚の匂いやカレーの匂いのように、どこかの家庭の生活が感じられる風景の一つくらいにしか思ってなかった。
妻が妊娠してから、赤子の泣き声が聞こえると、うちもそうなるんだなあと思うようになった。カレーの匂いがすると、明日はカレーにしようかな、と思うようなものかもしれない。
そしていざ、自分の元に赤子がやってくると、外から聞こえる赤子の泣き声に対して、それを世話しているだろうお母さんかお父さんかお姉ちゃんかお兄ちゃんか、誰かは知らないけれども、がんばれ!って応援するようになった。自分を応援したいんだけど、頑張れ自分とはなかなかできないから、人を応援することで自分を応援しているのかもしれない。
スポーツとかで誰かを応援するのって、そういう気持ちなのかもしれない。
太陽の光を当てさせるために、朝から抱っこ紐で路上に立っていた。道ゆく人たちに、話しかけられることもあった。「がんばってね」とか言われる。励まされて嬉しいけれど、いざ応援されてしまうとなんて言ったらいいのか分からない。
僕がそのとき思っていたのは、子供に陽を当てさせる、というより、もしかしたら、うちには赤子がいて、いろいろとご迷惑お掛けてしてしまうかもしれないけれども、実際に見てもらえれば、そして接してもらえれば、優しい気持ちになってもらえるんじゃないか、というような計算もあったのかもしれない。なんか計算高くて嫌な人みたいだけれども、子育ては多少図太くないとやってられないこともある。
赤子が生まれたとき、隣の人と上の人にお菓子を持って行った。夜中も泣き声でうるさくしちゃうかもしれないので、引越のときみたいに挨拶に行った。大家さんにも連絡した。大家さんはとても良い人で何かにつけ気にしてくれた。そのアパートを引き払ったあとも何度かメールでやりとりをした。良い人だ。
上の人はいなかった。入居者がいないようだった。隣の人は若い学生さんみたいな感じの人で勉強の邪魔をしちゃって申し訳ないなと思っていた。
「あ、はい、別にいいんで」
ぶっきらぼうな青年だった。お菓子を渡すと少し嬉しそうだった。僕も若いときにお菓子をもらったら嬉しかった。
はじめて一人暮らしをした18歳の頃、隣の人に挨拶に行くと怖い感じのお兄さんだった。そのときもお菓子を渡すと笑顔になって、「なんかあったら言ってな」みたいな感じだった。たまに、ドアノブに差し入れなのか、菓子パンと飲み物がぶら下がってることがあった。お礼のメモをドアの下から入れたりしていた。
ある日、隣のドアにすごい量の張り紙がしてあった。漫画とかで見た「金返せ」的なやつだった。ドアが開いていたので覗くと、夜逃げというやつなのか誰もいない雰囲気だった。
そんなことが思い出される隣の青年の嬉しそうな顔に、少し救われた。
我が家は毎夜毎夜、赤子が泣いていた。地獄の三週間、魔の三ヶ月というやつ。さすがにお菓子だけじゃ申し訳ないと思っていた。
夜中に隣から歌声が聞こえた。子守唄じゃないけれども、歌っていた。どういうつもりで歌っているのか分からないけれども、僕には励ましの歌に聞こえた。
気にしなくていいよ、と言ってもらえている気がした。挨拶も苦手な彼だけれども、好青年だと思った。