いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

ブルゾンに困る!(再東京篇)<お気に入りの服を捨てたこと>

「お気に入りとのお別れは突然に」(長女2歳10ヶ月、双子9ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

数年前、僕は物を大量に処分した。妻と結婚する前に多くの身の回りの物を整理し、服なども大きなゴミ袋に3個ほど処分した。安物の服もあれば、貰い物の良い服もあった。当時は服をケアするとか考えてもいなかったから、良い服も裾がほつれていたり、首周りの布が傷んでいたり、ジッパーが壊れていたりした。

 

とても気に入っていたブルゾンがあった。そのブルゾンももちろん貰い物で、作家ヘミングウェイをモチーフに作ったとかそんな感じのものだった。ヘミングウェイが好きだと言っていたのを思い出したのか、繊維関係に勤めていた友人が社販か何かで買ってくれた。

 

このブルゾンを春や秋には毎日のように着ていた。少し小さかったんだけど、生地が気持ちいいというのもあったし、ヘミングウェイな感じが気に入っていた。

 

5年くらい着ていたろうか。僕にしては長持ちした方だった。

 

人間関係で精神的に追い詰められていた頃、毎日ふわふわした感じがあった。家にいるのも落ち着かず、だけど外に出るのもいやだった。そんなときは自暴自棄になりやすいのか、毎日たくさんのお酒を飲んで何も考えずに眠れるように、祈るように、何も感じないまま布団に倒れ込んでいた。

 

そんな中でも、お気に入りのブルゾンを着ていると気分がよかった。春とか秋だったからかもしれない。そのツルツルとしながらもどこかしっとりとする生地に触り、頬に当て、服はただ着るのではなく、触ることで心を落ち着かせてくれると思っていた。

 

そんな秋のある日、朦朧としながら電車に乗っていた。僕はあまり電車の席に座らないので、その日もドア付近に立っていた。疲れていたからドア付近に寄りかかっていたかもしれない。

 

ドアが開くと、ブルゾンの袖が巻き込まれてしまった。

 

あーっと思って引っ張ると、ブチッという音と共に、黒く汚れた袖が出てきた。油汚れのような感じ。そして、ボタンが1個取れていた。

 

お気に入りのブルゾンのボタンもまたお気に入りだった。ボタンの周囲にアーネストだかヘミングウェイだか英字で彫られているものだった。そのボタンは自動ドアを収納する場所に入ってしまった。

 

よくみると袖も破れていた。直すことができるのか分からないくらいに破れてしまい、ボタンもなくなっていた。

 

僕には少し小さくて、そして何年も着たブルゾン。小さいというだけで今なら着なかったかもしれないけど、当時の僕にはヘミングウェイへのオマージュだけでなく、質の良い生地に愛着が湧き、このヘミングウェイブルゾンを捨てる日がくるとは思っていなかった。

 

服は着心地が良くなってきたと思うと、擦り切れたり、ほつれたりしていた。僕が安物ばかり買うからだった。ヘミングウェイブルゾンは擦り切れていた箇所も、ほつれた箇所もなかったけれど、自動ドアに巻き込まれて無惨な姿になってしまった。

 

住んでいるところを引き払うことなったときに、まずこの思い出のヘミングウェイブルゾンをゴミ袋に入れた。今考えれば、ボタンくらいはとっておけばよかったとも思うけど、当時はそんなことも考えずにゴミ袋に入れた。

 

お気に入りの物を捨ててしまうと、他のお気に入りでなかった物などはもうどうでもいいような気がした。襟が擦り切れてしまって外には着ていけないシャツ、これは弟からもらったシャツだ。ペンキがついてしまったダウンベスト、これもずっと部屋着で着ていた。ジッパー部分が当時の飼い犬が子犬の頃に齧ってしまって破損したマウンテンパーカー。マイフェバリットソングのように次々にお気に入りと思い出の服が出てきた。

 

何でもかんでも捨てて、そうしてゴミ袋3個。

 

身軽になって引っ越して、渡米して、帰国した。

 

ヘミングウェイブルゾンが欲しくなった。ネットで探してみたけれども見つからない。どこのブランドかも分からない。僕が知っているのは生地がどこで作られたのかという情報だけだった。

 

ヘミングウェイの服で調べてみると、ヘミングウェイがアフリカに行ったときに着ていたジャケットが出てくる。いまもあるブランドのアバクロがまだアウトドア専門の衣料品店だった頃、ヘミングウェイが注文して作ったというヘミングウェイジャケット。そして、それをアバクロから依頼されて作ったのが、ウィリス&ガイガーだったとかそんな話が出てきた。

 

僕は当初のヘミングウェイブルゾンのことを忘れてしまって、なぜかサファリジャケットを探すようになっていた。こうやって目的がすり替わってしまうのはなんなんだろう。

 

いつの間にかサファリジャケットが好きになってしまって、ヘミングウェイジャケットはもちろんだけれども、4着くらいサファリジャケットを買ってしまった。

 

お気に入りというのはなんだかよく分からない扉を開いてしまうらしい。愛着というのは恐ろしいものだ。

思いつき発言に困る!(再東京篇)<独自のルールを言い出す人>

「園長、それは聞いてませんよ」(長女2歳10ヶ月、双子9ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

東京では、長女と双子の次女三女は別の保育園に通っていた。毎日の送り迎えは往復で3時間くらいになる。3人の育児を家ですると在宅の仕事などできるわけもないし、妻も僕も在宅が多いとはいえ、2人とも外出しなければならないこともある。

 

僕の母が自転車で15分くらいのところに住んでいるけれども、世の中には使えるばあばと使えないばあばの二種類のばあばがいて、母は使えないばあばに属する。介護がないだけよかったと思っている。電灯や携帯電話の交換、テレビの不具合や洗面台のタオルの位置の調整など、ずっと近くに住んでいた弟には頼みづらかったのか、「前々から気になっていたのよ」と言って、僕に連絡がある。親孝行のつもりで週に一度くらいは顔を出して、いろいろと直したりしていた。

 

ばあばをあてにするわけにはいかない。お金もないからベビーシッターなんかもっと無理。

 

そんなことから、二つ合わせて往復3時間になる保育園に通っていた。

 

長女の保育園は最初に少し揉めたけれども、そのあとの関係は良好以上の関係で、信頼のできるところだった。双子の保育園は保育士さんたちがとても親切で、最初からいい印象だった。とくに食事を作ってくれている保育士さんが器用な方で絵を描いたり、工作したりととても上手で、ゴミ捨てをしながらも子供たちを注意して見ていたりして、すごい人がいると思った。

 

双子の保育園の曲者は園長だった。

 

園長は男性で、どこか暗い感じのある人だった。僕とはじめてあったときも偉そうな感じで接してきたので、は?みたいな感じで見てみると、急にシュンとなった。コミュニケーションが苦手な人なのかな?くらいに思っていた。コミュニケーションが苦手な人は、偉そうに人に接してしまうことが多い。対等という関係が苦手なんだと思う。

 

そんなことがあって、園長は僕のことが少し怖がっていた。だんだんと普通になっていったけれど、保育園に通って3ヶ月くらいはおどおどしていた。

 

双子はアメリカ生まれだ。そのため予防接種などのスケジュールや種類が多少ずれてしまっていた。予防接種は妻の担当だったので、双子の予防接種のスケジュールも妻が調整して行っていた。

 

妻が困っていた。

 

「予防接種の翌日は保育園をお休みしないといけないんだって」

 

「そんなことどこに書いてあるの?」

 

「いろいろ見てるけど、どこにも書いてない」

 

「あの園長って、細かいこといろいろ言ってくるんだよねえ。なんか威圧的なんだよ」

 

「え、いつもオドオドしてるけど」

 

とそんな会話の中で、園長のやり方が分かってきた。人によって対応を変える表裏がある人は、嘘とまでいかないにしても、自分勝手な解釈をしてルールを理解しやすい。これは調べた方がいいということで、妻が役所に確認をした。

 

「そんなルールはありません。予防接種の翌日でも体調に変化がなければ、登園してください。すぐに園長に電話させてもらいます」

 

役所の対応は迅速だった。

 

園長からは電話はなかった。そしてそのまま何事もなかったように登園して、妻は園長を見かけたが奥から出てくることはなかった。僕がお迎えにいったときにも園長は奥にいた。

 

もし、こういうことが続いたら、園長にガツンと言おうと思っていたけど、こういうことはもうなかった。園長と僕の関係はどんどん良好になっていった。たまには冗談を言うくらいになっていた。

 

最初の頃、お迎え時間の10分前に着くと、園長から「こちらも準備があるので10分以上前に来られるときには電話してください」と苛立った感じで言われたことがある。

 

この保育園はお迎えの出入り口がとても狭い。お迎え時間に行っても10分くらい待つこともある。まあ、それは、園長や保育士さんのせいというよりも、2人ほど長居しがちなお迎えばあばと、話好きなお母さんが出入り口を塞いでしまうからなんだけど。

 

そういうことから、10分前にはお迎えに行くようにしていた。園長は何も言わなくなってきた。一度、出入り口が狭く混雑してしまうので少し早めにお迎えにはきますと言ったからかもしれない。

 

この園長が子供を叱っているのを見たことがある。結構、きつい感じで叱っていた。

 

「結構、厳しく叱るんですね」

 

と聞いてみた。それは、ちょっとやりすぎに思えますよ、と諭すようなつもりで言った。

 

「ええ、厳しく言わないと分からないこともありますから」

 

この園長と腹を割って分かり合うのは難しいなあと思った。長女の保育園の園長はいつでも腹を割って話せる感じになっていた。ラーメン屋さんで働いていたことがあるらしくて、見た目もがっちりしているもんだから、ついつい「店長」と呼んでしまうことがあったけれども、にこやかにお返事してくれた。