いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

掃除機に困る!(主夫篇)<バッテリー式の掃除機は活躍する>

「パーツまで吸引してしまったのか?」

 

困ったことがあった。

 

僕はバッテリータイプの掃除機は使っていなかった。掃除機はコード式じゃないと充電が心配だったし、パワーが足りないんじゃないかと思うのは、昭和生まれの仕方ない思い込みだろう。そして、紙パック式だと、紙パックを捨ててしまえば、それ以上のメンテナンスもあまりしないで済んだので、紙パック式が好きだった。あと変な話だけれど、紙パックのゴムの部分の柔らかさが好きで紙パックを交換するときにゴムの部分を触るのは楽しみの一つでもあった。

 

紙パックじゃない掃除機は紙パック代の節約になるし、交換するときに紙パックがないといってパニックになることもないから、ゴムの感触が楽しめなくなる以外にはいいことだらけだ。たまに掃除機を掃除しなくちゃならないというのがあるけど、何事も習慣にしてしまえば楽しめる。

 

妻はバッテリータイプの掃除機を使っていた。その掃除機は吸引力がない。ゴミをちっとも吸わないと妻がぼやいていた。試しにやってみると不良品かのように何も吸わない。壊れかけの掃除機だった。

 

「これ、ゴミ溜まったままじゃない?」

 

「どういう意味?」

 

妻には抜けたところがある。掃除機の中のゴミを捨てるということを考えたことがなかったようだ。

 

「この中にゴミがパンパンになってるから何も吸引しなくなっちゃったんだよ」

 

「ゴミ捨てなきゃいけなかったのか」

 

ブラックホール内蔵の掃除機だと思っていたのかもしれない。人類の科学はブラックホールを平和利用できるほど進歩していない。

 

掃除機のゴミを捨てると、掃除機は吸引力を取り戻した。ダイソンでもない掃除機だけれども十分だった。

 

「捨てなくてよかった」

 

妻は掃除機が役に立たないので、クイックルワイパー的なもので掃除していたらしい。紙パック式の掃除機でもきっと紙パックがパンパンになって、ホースの方にまでゴミが溢れ出る感じの使い方をするのだろう。僕は子供の頃から掃除機の紙パック交換担当だったからパンパンになった紙パックの面白さも知っている。ホースにまでゴミが溢れた紙パックは処理に熟練の技が必要になる。

 

掃除機は復活したけれども、アメリカに持って行くほど愛着のある掃除機でもなかった。渡米中は倉庫にしまうことにして、アメリカでは別の掃除機を買った。これも充電式の掃除機だった。ダイソンのパクリみたいなやつで一年以上は持ってくれた。帰国前には少し壊れていて使うのにコツが必要だった。

 

アメリカの掃除機はバカデカくて重いコード式が主流。このバカデカい掃除機は吸引力が凄まじく、日本の業務用と同じで、液体だろうがガラスの破片だろうがガンガン吸い取る。土足文化にはふさわしい掃除機かもしれないけど、使い勝手は悪い。だから僕らは充電式のダイソンのパクリみたいな掃除機にしていた。

 

「これダイソンだよね! いいなあ」

 

アメリカの友人に羨ましがられた。彼女の家ではバカデカい掃除機しかなくて、掃除するだけでヘトヘトになるとのことだった。

 

「ダイソンじゃないんだよ」

 

ダイソンじゃなくても、ハンディタイプというのか充電式というのか分からないけれど、片手で使える掃除機が欲しいということだった。彼女は夫に相談すると、もうすぐイギリスに帰国するからそれまではアメ車で行こうぜ、と言われたらしい。

 

そんなこんなで僕らも帰国した。パクリの掃除機は多少壊れていたけど、ちょっと修理すればまだまだ使える。肝心のバッテリーが壊れたわけじゃないから、なんでも修理して使う管理人さんに渡せば有効利用してくれる。

 

日本では、例のゴミがパンパンになって捨てられそうになっていた掃除機がある。吸引力も悪くないけど、バッテリーの持ちは悪くなっていた。きっとゴミがパンパンのまま吸い続けてしまったからだろう。

 

「クレジットカードのポイントでダイソンと交換してくれるみたい」

 

我が家にダイソンが来た。ポイント交換だから型落ちのダイソンだけれども、ダイソンはダイソンだ。パチモノのダイソンより吸引力もあるし、ヘッドの部分が凝っている。これはいいと思って毎日使っていた。

 

名古屋に引っ越してからも毎日使っていて、ゴミもパンパンになる前に捨てている。子供がいると掃除機の出番は多い。ご飯やお菓子なんでもこぼれていく。外から帰ってくれば砂もパラパラと落ちてくる。掃除機は使いやすさが一番だ。コード式だと面倒なことも充電式ならすぐに使えるのが便利だと思った。

 

あるとき、ヘッドの部分のローラーが回らなくなっていた。見てみると、ローラーを抑えるはずのパーツが片方なくなっていた。エンドキャップというらしい。

 

野外で使ったわけもないから、部屋のどこかにあるだろうと探した。おもちゃと間違えて片付けてしまっているかもということで玩具箱も探した。長女がゴミ箱に物を捨てることを覚えてきていた時期だったので、ゴミ箱も探した。見つからなかった。吸引力のダイソンとはいえエンドキャップは吸引できない。でもない。どこにもない。消えてしまった。ブラックホール内蔵型だったのかもしれない。

 

パーツが見つからないなら、パーツだけ頼めばいい。それだけのことだ。ダイソンのページからパーツを買おうとしたら品切れだった。楽天とかフリマアプリとかでも探してみたけど、どこにもなかった。メルカリでは1週間前に売れてしまっていた。

 

ネットで情報を探していると、生産が遅れているらしく、2022年2月くらいにならないと手に入らないということだった。そのときはまだ2021年6月。まだ先だ。

 

ヘッドクリーナーが使えないなら、ということで、布団用のヘッドに交換して使っていたけれども物足りない。仕方がないからヘッドクリーナーの新古品を探して買うことにした。1万円以上した。パチモノのダイソンなら買える値段だ。

 

その後もエンドキャップは見つからなかった。2022年2月になったので、ダイソンのホームページからエンドキャップを見てみるとまだ品切れ。商品が入ったらメールでお知らせしてくれるように設定していたけれども、ついつい定期的にチェックしてしまう。

 

そして4月になって、商品お知らせメールが来てないけれども、チェックしてみた。商品が入荷されていた。注文した。550円のエンドキャップに送料が550円ということで安いのか高いのか分からない気持ちになった。

 

そして、そのエンドキャップは型が合わなかった。掃除機の型を確認して買ったつもりなんだけれども、何か勘違いしてしまったらしい。

特撮ゴッコに困る!(再東京篇)<若いお父さんと若くないお父さんの場合>

「僕たちは破壊される街に住む」(長女2歳10ヶ月、双子9ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

休日になると、長女を連れて公園に行く。今は双子も2歳を超えたので双子を連れていくことの方が増えた。双子が赤ちゃんのうちはなかなか外には連れて行けなかった。

 

休日の公園は、自転車で爆走する小学生や周りを見ずに鬼ごっこみたいなことをして走り回る子供もいてなかなか危ない。2,3歳の子を連れているとひやっとすることもある。たまに、わざと小さい子の前を自転車で通り過ぎてスレスレの技術を披露する子供もいるが、僕もそうだったからなんだか叱れない。

 

彼に言えることがあるとすれば、その技術を披露しても誉めてもらえないよ、ということくらい。たまに怒られるくらいだ。危険と技術が紙一重であると認識しているのは感度が高いと言えるけれども、知性が足りないと思われる行為でもある。

 

そんな子供たちの危険行為はだいたい察知できるし、危なそうなとこには行かないようにすればいい。

 

幼児が遊ぶスペースにキッズがいることもあるけど、公園を変えると幼児たちばかりの公園がある。引っ越したばかりの頃にはわからなくても、いくつか公園を巡っていると幼児が多めになっている公園を見つけることができる。

 

ギリギリのスリルを味わうキッズの多い公園に悩まされている幼児連れは他の公園を探してみることをおすすめします。

 

幼児が遊べる公園は、幼児だけがいるわけではない。当たり前だけれども、保護者がいる。お母さんかお父さんかおばあさんかおじいさんか親戚かシッターさんか分からないけれども、保護者と一緒ではある。

 

休日ともなれば、お父さんらしき人が保護者になっていることもある。僕もそうだ。公園に入ると僕の怪しげな風体からジロジロと見られてしまうこともあるけれども、保護者として幼児を連れている。仲間に入れて欲しいと思う。

 

保育園の登園降園でもよく思うことがある。お父さんらしき人たちは挨拶が苦手な人が多い。頭を下げても、声をかけても気がつかない感じで去ってしまう。

 

僕は、見た目が怖いとか、威圧感があると言われる。ちょっとガタイがいいと言われやすい体型というだけで、気さくで優しいおじさんだと思っているのに、怖がられてしまう。妻曰く服装のせいらしい。服は好きな服が着たい。たまにカウボーイみたいな格好をしているときは自分でもやりすぎだと思ってはいる。カウボーイの服装だってアメリカではウケていたみたいで、男女関係なくよく話しかけてもらった。

 

想像してみると、平和な幼児が集まる公園に、カウボーイみたいな服装をしたゴツい男が小さな子供を連れて現れた、ということなのだろう。考えてみれば、そんな人に挨拶されても気づかないふりをしたくなるのも分かる。

 

ここはテキサスじゃない。テキサスには行ったこともないけど。

 

そんな幼児が集まる公園で、若いお父さんらしき人が子供と特撮ヒーローゴッコをしていることがある。遊具を駆け登りジャンプして降りたりしている。ウルトラマンの何かか、仮面ライダーの何かだろう。

 

ウルトラマンにしても仮面ライダーにしても僕は詳しくないし、きっと特撮ヒーローのことを話しても世代が違うから噛み合わない。サンバルカンも伝わらない。

 

長女のときも、大きくなった双子を連れていったときも、そういう若いお父さんの特撮ヒーローごっこで遊具が使えなくて待っていることがある。

 

お父さんが怪人や怪獣をやって、子供がウルトラマン仮面ライダーになっている。そして、2人の戦いを僕らは見ている。彼らからすれば僕らはヒーローショーの観客なのだろう。少しサービスしてくれているような気がしなくはない。若いお父さんはたまにこちらを見て、「やられたー」と大きなジャンプをして遊具から落下したりもしている。若さって素晴らしい。若さって何だ?っていうのは、僕の世代の宇宙刑事の歌詞。

 

しかし、僕らは観客ではなかった。僕らもまたそのゴッコに参加しているのだ。

 

ウルトラマンと怪獣が戦っているときに、壊される街の住民の役として。

 

ウルトラマン仮面ライダーが平和のために戦ってくれているのはありがたいけれども、その戦いのために、住民たちのささやかな生活が破壊される。平和のために生活が破壊されるのは仕方ないのかもしれない。あちらは世界平和のために戦っている。世界の平和がなければささやかな生活だってあり得ないのだ。

 

「待とうね」

 

子供にそう言い聞かせる。10分待っても平和が訪れない。違う遊具で遊んでいると、娘たちが遊びたい遊具がやっと空く。

 

しかし、また世界の平和が脅かされる。

 

今度は全集中とかしている。若いお父さんも少し躊躇っていたけれども、僕らが平和のために避難すると、世界を滅ぼすために戦いはじめた。僕らも何かのゴッコに参加して被災した住民としてその場から離れた。

 

特撮とか漫画アニメごっこに特化した公園とかあると賑わいそうだと思った。